礼拝

2019.08.19

特定の宗教を限定せず、広い意味での宗教心を一人ひとりに持たせ、真の人間を育てたいという玉川における宗教教育の理念は、終始一貫して玉川教育を支えてきた。そして礼拝の時間が幼稚部から大学まで設けられ、学生・生徒・児童ら一人ひとりが自分自身と向き合い、自らを見つめることで、他者を思い、平和を愛する心を育んでいる。

1.宗教教育

「神ゐ(い)ます み空を仰げ 神はわが遠つみ祖(おや)……」
創立当初から歌われているこの校歌には、玉川学園の心、そのものが盛り込まれているといえよう。本学では、特定の宗教の伝道を目的とせず、広い意味での宗教心を一人ひとりの心に持たせたいという小原國芳の思いを引き継ぎ、宗教教育を重視している。

玉川学園校歌

人間であれば、だれでも心の深いところで神ないしは神的な何かに触れる。また、触れることがなければ、真の人間は育たない。その機会を与えること、これが本学における宗教教育の基本理念である。その宗教観は、時代とともに少しずつ形を変えながら、終始一貫して玉川教育を支えてきた。

聖山での礼拝

小原國芳著『全人教育論』(玉川大学出版部発行)には次のような記述がある。

教育の理想、方法、教材論、児童論、教師道論、みな、宗教をヌキにしては考えられませぬ。
      (略)
そもそも、宗教心とは何であるかというと、特殊のものがあるのではなく、人間の精神生活の総量なのです。人間生活のあらゆるものの綜合が宗教経験なのです。学問心も道徳心も、そのほか、一切の心が集って宗教心を渾成しとるのです。

國芳は、人間形成には真、善、美、聖、健、富の6つの価値を調和的に創造することが必要であるとし、それは学問、道徳、芸術、宗教、健康、生活の6方面の人間文化を、豊かに形成することと考えた。國芳はそのことを『全人教育論』の中で次のように記している。

人間文化には六方面があると思います。すなわち、学問、道徳、芸術、宗教、身体、生活の六方面。学問の理想は真であり、道徳の理想は善であり、芸術の理想は美であり、宗教の理想は聖であり、身体の理想は健であり、生活の理想は富であります。教育の理想はすなわち、真、善、美、聖、健、富の六つの価値を創造することだと思います。

國芳は、宗教教育は人間教育であり、他者を思い、平和を愛する心を育む教育であると語っている。そして、その心を育む時間として礼拝の時間が設けられている。園児、児童、生徒、学生たちは、この礼拝の時間を通して聖なるものと向き合うことで、感謝の気持ちを抱き、自分自身を見つめ、なすべきことは何かを考える。こうして玉川学園では、全学において礼拝が行われ続けている。

礼拝堂での國芳の礼拝講話
聖山礼拝

2.礼拝

聖山での祈り

1929(昭和4)年4月8日の玉川学園開校式の翌日から塾生活が開始された。この日から先生方と塾生は、日の出とともに起床し、直ちに聖山に集まって、祈り、体操し、校歌を歌った。その聖山礼拝のことが『學園日記』第1號に次のように記されている。

四月九日(火)晴。今日より先生方及び塾生は日出と共に起床、直ちに聖山に集つて神を讃美し、祈り、體育し、校歌を高唱し、一日の仕事に着く。

イデア書院発行の『イデア』第74号の「編輯室 のぶ子」には次のように記述されている。

四月八日には開園入學式をいたしました。
     (略)
それから毎朝の行事は、五時に起床、聖山に登つて朝の祈禱と讃美歌を歌ひ、その後は塾生は夫々手分けして仕事をいたします。

以上のことから、記録に残されている初めての礼拝は、1929(昭和4)年4月9日早朝、塾生によって行われた聖山での祈りであると思われる。

大学においては、1949(昭和24)年、新制大学として発足した年、礼拝が正規の授業として時間割に組み込まれた。これが授業としての礼拝の始まりとなった。礼拝は週に1回、月曜日の第1時限目(90分)で、パイプオルガンの演奏で開始し、頌栄、讃美歌、聖書朗読、祈禱、讃美歌、お話、讃美歌、献金、頌栄と続き、パイプオルガンの演奏で終了となる。これはキリスト教会の一般的な礼拝形式(プロテスタント形式)と同じであった。お話の部分は学園長の小原國芳が担当した。礼拝には学生全員はもちろんのこと、教職員も全員出席。また創立当時は大学生の人数も少なかったため、高等部の全生徒と教師全員も参加した。

翌年から小学部、引き続いて中学部に礼拝の時間が設けられた。高等部は大学と合同で礼拝を行っていたが大学生の人数が増加したため、1952(昭和27)年より独立して礼拝の時間を持つようになった。その後、学生、生徒などの増加により実施方法は変化したが、礼拝は全学においてずっと実施されてきている。1959(昭和34)年、当時高等部の2年生だった柳田智子さんが次のように記述している(玉川大学出版部発行の『玉川教育―玉川学園三十年―』より)。

土曜日、朝の空気は肌に冷たいが何となく今朝はすがすがしい気持がする。十字架のくっきりと青空に浮かんでいる礼拝堂に向かって登っていく人々の中にまじって、私もなにか清められた心を持って歩を運んでいた。
皆で声を揃えて讃美歌を、頌栄を、主の祈りを歌い、揃っておやじ(小原國芳)の説教に耳を傾ける。その時の静かな雰囲気が私に近頃たまらなくよい。恥しいことながら私にはまだ、説教については完全にわからないし、したがって神というものを信じきるというところまで達していない。
ただ私はあの礼拝というもの全体の雰囲気が何ともいえなく好きなのである。そして今では私はこのような尊い時を持つことができるのがとても幸福に感じられるようになった。今日もまた手を組み、めい目する私達の耳へパイプオルガンの響きが静かにしみ入る。やがて、今週の業をつつがなく終った私達の感謝と反省との清い礼拝が始まって行く。

現在、礼拝は次のように行われている。幼稚部は年少から年長まで全員が参加してチャペルで行っている。聖書がベースの話もあれば道徳的な概念を伝えることもある。低学年(小学1年生~4年生)は毎週、2学年ずつチャペルで実施。礼拝堂で行うこともある。4年生が司会、聖書の朗読、お祈り、献金集めをクラスごとに担当している。中学年(小学5年生~中学2年生)は中学年講堂にて、礼拝委員が中心となって運営。お祈りは児童、生徒の有志が担当。日本語と英語での聖書朗読も行っている。高学年(中学3年生~高校3年生)はチャペルにおいて、月曜日から木曜日の始業前15分間、学年ごとに朝礼拝を実施。生徒が司会、聖書朗読、お祈り、オルガン演奏を担当。年間約10回行われる土曜礼拝では、礼拝堂やチャペルにおいて、学外の講師などから話を聞く。大学では1年次生の秋学期に開講されている「玉川の教育」という授業の中で、礼拝堂において、「礼拝」5回と「宗教講義」4回が行われている。1年次生全員が一年次教育の一環として受講している。

3.礼拝堂とチャペル

礼拝堂の建設が始まったのは、玉川学園創立の翌年、1930(昭和5)年6月。場所は今と同じ玉川学園で一番高い聖山の丘。そして、9月に完成した礼拝堂において、その年の10月13日に献堂式が行われた。玉川学園の礼拝堂は、「本間俊平全集」(玉川学園出版部発行)の印税を基金に建立されたので、「本間記念礼拝堂」とも呼ばれた。そして、礼拝堂献堂式に招かれた本間俊平氏は、「礼拝堂がある限り神様は玉川学園を守り育てて下さる。自然を愛し、人を愛し、汗を流すことに喜びを感じる人になってほしい」と生徒たちに語りかけた。礼拝堂完成の翌年、パイプオルガンが設置された。このパイプオルガンはアメリカのシカゴのキンボール社製。小原國芳が欧米教育視察の際、アメリカの教会でパイプオルガンの厳かな音を聴き、「宗教教育」にパイプオルガンは欠かせないという強い信念から買い求めたものである。

礼拝堂献堂式、写真中央に本間俊平と小原國芳
パイプオルガン
礼拝堂
礼拝堂
礼拝堂
礼拝堂

さらに2000(平成12)年には礼拝堂とは別に、経塚山(三角点)の南斜面の幼稚部園舎に隣接したところにチャペルが完成した。4月4日にはそのチャペルの献堂式が行われた。なお、玉川学園創立40周年記念の際に卒業生から贈られた新仕様のバロック式パイプオルガンは、このチャペル完成時に礼拝堂からチャペルに移設された。

チャペル
チャペル
(写真左)チャペル (写真右)チャペルのパイプオルガン

4.クリスマス礼拝

クリスマス礼拝は、キリストの降誕を祝う特別礼拝で、参加者は厳かな雰囲気の中、讃美歌を歌い、クリスマスに関する聖書の朗読や礼拝講話を聞き、心を研ぎ澄ませる。

玉川の丘で初めてのクリスマスの集いが行われたのは、1929(昭和4)年、玉川学園創立の年であった。この年12月26日に幼稚園と小学部の合同のクリスマスの集いが行われた。翌日には塾のクリスマス会が催された。塾のクリスマス会については、『学園日記』第7号(玉川学園出版部発行)によれば、学園内の人たちを全員招待したとのこと。その塾のクリスマス会の当日の様子は以下のとおりである。

塾のクリスマス会が開催された日は、ちょうど玉川学園の土地が登記されて一周年を迎える日であった。塾のクリスマス会の場所は図書館の閲覧室。当時の図書館は、学園キャンパスのほぼ中央にある聖山の南斜面、現在の観音庭園があるところに位置していた。木造の3階建てで、閲覧室のほか特別閲覧室、書庫(3層)、事務室が設置されていた。塾のクリスマス会の当日は午後5時30分に会場である図書館の閲覧室に塾生と先生方が集まり、まずは肉鍋で英気を養った後、学園内の人たちを招待して午後7時30分よりクリスマス礼拝を開始。讃美歌「もろびとこぞりて」の合唱の後、聖書朗読、祈祷と続いた。礼拝終了後には余興が行われ祝賀の時間となった。

以後、クリスマス礼拝は毎年行われ、戦時下の1944(昭和19年)年や翌終戦の年にも実施された。1970(昭和45)年には幼稚部から大学までの全学合同形式となった。現在では、ディビジョンごとに分かれ、その年の最後の登園となる終業日に、幼稚部と低学年はチャペルで、中学年は中学年講堂で、高学年は礼拝堂で実施。大学は2011(平成23)年までは大体育館を会場としていたが、翌年からは大学音楽祭とともにパシフィコ横浜で行われている。

5.礼拝献金

1949(昭和24)年、小原國芳は九州方面に講演旅行に行った際、招かれて鹿児島県鹿屋市の国立癩療養所星塚敬愛園で講演。國芳は、そこでの悲惨な状況を目の当たりにするとともに、新しく開発された癩の特効薬が著しい効果をあげているにもかかわらず政府予算の不足から全患者に毎日注射できない実態を知る。帰園しての最初の礼拝において、國芳は新しい特効薬の購入のために寄付をしようと訴えた。これが礼拝献金の始まりともいわれている。11月29日のことであった。その日から献金が始まり、各自思うところを捧げた。そして適当な金額になると敬愛園に送金した。やがて国家予算で全患者にその新しい特効薬を毎日注射することができるようになったが、その後も礼拝で集めた献金を敬愛園に送り続けた。そのお金を基金として、敬愛園では重症患者のための独立した宿舎を建設。その建物は「玉川寮」と呼ばれることになった。同じ頃に東京の国立癩療養所多磨全生園にも敬愛園と同額を寄付していた。同時に同園付属の小学校に「玉川文庫」を設けることとして、大きな書棚2つと本学出版部の本を中心とした児童図書を贈った。

その後、礼拝の時間に集った献金は、全国の社会福祉施設等へ寄付されている。また国内だけではなく、海外にも寄付先を広げていった。朝鮮戦争による韓国の戦災児童たちのために慰問金のほか慰問品約4,000点を送った。戦争による被害を受けた当時アメリカ合衆国の統治下にあった沖縄の学校にも支援金を送金。沖縄の学校の戦争による惨状は、沖縄を訪問した國芳から学生、生徒に伝えられ、それがこの支援につながる。さらに高等部生を中心に沖縄慰問隊(19名)が結成され、現地を慰問し、実情を視察した。大学生たちは教科書その他の図書を集めて現地に送った。

1963(昭和38)年には礼拝献金でシュヴァイツァー病院に顕微鏡を贈呈している。その経緯は次のとおりである。礼拝などの時間に小原國芳からシュヴァイツァー博士の功績について聞いた学生や生徒たちからの提案で、幼稚部から大学までの礼拝献金を貯めて、シュヴァイツァー病院に建物を1棟贈ろうということになった。高等部生全員の労作による献金も加えられた。その申し出に対してシュヴァイツァー博士の下で働いていた日本人医師の高橋功博士を通して、建物はほぼ揃えることができたので、できれば世界的に有名な日本の顕微鏡がほしいという要望があった。そして、当時世界最高級といわれたオリンパス社製の顕微鏡を贈ることが決まった。1963(昭和38)年4月30日に贈呈式を行い、来園したシュヴァイツァー博士の令嬢であるレナ・エッケルト氏にその顕微鏡を贈呈した。

(写真左)顕微鏡贈呈式(本学にて) (写真右)贈呈された顕微鏡

1980(昭和55)年からは礼拝献金の一部を西アフリカのシエラレオネに寄付。当時のシエラレオネは、干ばつによる極度の水不足と長期の停電で、生活そのものに深刻な事態が生じていた。6か月間に電気が来たのはクリスマスと元日だけ。そのため、1980(昭和55)年には、礼拝で学生たちに呼びかけ、水と光の両方にプラスとなる自家用発電機とオイル代を送った。

本学通信教育部の卒業生で、シエラレオネの教育支援に一生を捧げたシスターである故根岸美智子先生が、日本への帰国のたびに本学を訪れ、貧しい国の様子や現地の教育について語ってくれた。この支援は現在でも続いており、低学年の父母会による物資の支援なども行っている。2011(平成23)年にはシエラレオネへの支援に対して、ローマ教皇ベネディクト16世より感謝状が届いた。

2008年6月18日玉川学園講堂においての根岸先生の講話
2008年6月18日玉川学園講堂にて根岸先生と握手する生徒たち
ローマ教皇ベネディクト16世から贈られた感謝状

クリスマス礼拝といった特別な礼拝の際だけに献金を行う学校が多いが、本学は通常の礼拝でも毎回献金を実施している。

6.クリスマスキャロル隊

聖歌を歌いながら丘を巡るクリスマスキャロル隊。12月24日の深夜に聖山に集合し、学園長宅をスタートに学園内に住む先生方の家や丘の住宅地を巡り、玄関先で聖歌を歌う。その活動は、創立の年から始められた。最初は学園内で生活をしていた塾生たちによって行われた。戦後になると、塾生以外の学生も参加するようになった。長く丘に住んでいる人たちには、年末の風物詩として大変好評であった。しかし、玉川学園創立者小原國芳が亡くなった1977(昭和52)年は中止。そして、新たにこの地に引っ越してきた住民が増えたことにより、クリスマスキャロル隊の聖歌を騒音としてとらえる人も出てきた。そのため、翌1978(昭和53)年からこの活動を取りやめることとなった。それに代わるかのように1983(昭和58)年からは正門の玉川池のところにクリスマスツリーが飾られ現在に至っている。

クリスマスキャロル隊
クリスマスツリー

関連リンク

参考文献

  • 小原國芳著『全人教育論』 玉川大学出版部 1969年
  • 小原哲郎監修『全人教育』 玉川大学出版部
          第400号(1981年)、第466号(1987年)
  • 小原芳明監修『全人教育』 玉川大学出版部
          第595号(1998年)、第624号(2000年)
  • 小原芳明監修『ZENJIN』第640号 玉川大学出版部  2001年
  • 小原芳明監修『全人』 玉川大学出版部
          第654号(2003年)、第723号(2008年)、第729号(2009年)、
          第740号(2010年)、第745号(2010年)、第748号(2011年)、
          第750号(2011年)、第763号(2012年)、第825号(2018年)
  • 書上喜太郎「村の第一夜」(『學園日記』第1號 玉川學園出版部 1929年 に所収)
  • 小原信「編輯室」(『イデア』第74號 イデア書院 1929年 に所収)
  • 塾編集委員会編『玉川学園 塾の歩み五十五年』 玉川大学・玉川学園女子短期大学塾 1985年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史(写真編)』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園編『玉川教育―玉川学園三十年―』 玉川大学出版部 1960年