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教育立国論

2020.03.03

終戦を迎えた日本国民は敗戦の影響で先の見えない日々を過ごしていたが、小原國芳はいち早く教育立国を唱えて新生日本の進む道を示した。そして、「教育立国」の夢と「全人教育」の理想を語り、全国を教育行脚。1946(昭和21)年、『教育立国論』を出版した。

1.「教育立国」の夢と「全人教育」の理想を語り、全国を教育行脚

玉川学園創立者小原國芳は半世紀以上にわたり全国各地を教育行脚し、「教育立国」の夢を、そして「全人教育」の理想を語り、全国に新教育運動の火を点した。訪問年月がわかる教育行脚の最初は、1920(大正9)年5月1日。時に小原國芳33歳。場所は福島師範学校附属小学校であった。行脚は戦中の一時期中断したが、1975(昭和50)年11月まで半世紀以上続いた。訪問地は全国津々浦々という言葉が正に当てはまるほど日本全国各地にわたっている。『全人教育』の身辺雑記などの記録によれば、996にもおよぶ市町村の訪問地名があがる。47都道府県、全国996もの市町村にわたる行脚の足跡は、本学教育博物館展示パネル「小原國芳教育行脚訪問地」で見ることができる。

國芳の教育行脚は国内に留まることなく海外でも行われた。初めての海外教育行脚は1924(大正13)年8月。10日から15日まで、当時、植民地であった朝鮮での講演。以後、欧米での行脚が行われ、玉川教育についての講演は異国の地でも大きな反響を呼んだ。

1931(昭和6)年10月28日、ベルリン市での講演

2.『教育立国論』の出版

1945(昭和20)年8月、終戦を迎えた日本国民は敗戦の影響で先の見えない日々を過ごしていたが、小原國芳はいち早く教育立国を唱えて新生日本の進む道を示した。そして、國芳は、第1回の新生日本教育研究会を、終戦の年である1945(昭和20)年の12月1日に玉川学園礼拝堂で開催した。その時のことが、『全人』第665号(玉川大学出版部発行)の「故(ふる)きを温(たず)ねて」に次のように記されている。

軍国主義の時代に終止符を打ち、新しい時代の教育を模索している教師たちに向かって小原國芳は、「国家の再建は教育から」と叫びをあげた。「日本國民に訴ふ」から始まる『敎育立國論』(玉川學園出版部)は、研究会講演で獅子吼(ししく)した原稿から起こしたものである。そして、新時代の日本の教育は玉川から生れるのだという強い信念を研究会の名称とした。
教職員から、自信がつくまで研究会開催は延期してほしいと申し入れ。それに対して、「人に見せられぬブザマな教育か」「他がやらぬから、やることに意味がある」と開催を強行。劣悪な交通事情の中、1,312名が全国から食料持参で玉川の丘に参集。講演会場は立錐の余地もないほどであった。翌年は一年間に7回もの研究会が行われ、「教育の玉川」の名が一躍全国に広まった。

第2回新生日本教育研究会(昭和21年)での生徒発表

戦後第1回目の行脚は、終戦から3カ月後の1945(昭和20)年11月22日、東京都江戸川区の教育会へ。困難な交通事情の中でこの行脚は再開された。特に國芳は「新生日本は教育立国にあり」と、困難きわまる交通事情にもめげず、1946(昭和21)年1月より、全国に教育講演行脚を始める。この年、米国教育使節団が、教育改造案立案のために玉川学園を視察に訪れた。

米国教育使節団が来園(旧本部前で記念撮影)

このような状況の中、同年に『教育立国論』の執筆が完了し、玉川学園出版部より刊行の運びとなった。小原國芳著『教育一路』に次のような記述がある。

私は『教育立国論』を一気に書き上げ、昭和21年の正月に出版しました。政治も外交も、産業も文化も、一切が人であり、人づくりは教育。敗戦に打ちひしがれている国民に文化国家としての再生を訴えたもの。
(略)
自由にものが言える時代を迎えて、寸暇を惜しんで原稿を書くかたわら、再び全国を獅子吼(ししく)して回るようになりました。北は北海道の果てから、南は奄美大島、沖縄まで、月のうち三分の二は旅先での講演につぐ講演の日々。あの交通地獄、食糧難の中を、おにぎりを数食分も携帯し、身動き出来ない車中に小便ビンを隠し持っての悪戦苦闘。聖ヨハネを、フィヒテを、日蓮上人を思い起こしての絶叫でした。
「日本の先生方よ、まだ遅くはない。ふるい立ちましょう。負けた国は本気になれば、もと以上に偉大な国に成るということを世界史は教えております」

参考文献

  • 小原國芳著『教育一路』 玉川大学出版部 1980年
  • 小原國芳「教育講演行脚・身辺雑記(1)」(小原國芳『小原國芳全集21』 玉川大学出版部 1966年 に所収)
  • 小原國芳編『全人』 第16巻第1号1月号・4月号 玉川学園出版部 1946年
  • 小原國芳編『全人教育』 No.199 玉川大学出版部 1966年
  • 小原國芳編『全人教育』 No.317 玉川大学出版部 1975年
  • 小原芳明編『全人』 No.700 玉川大学出版部 2006年
  • 白柳弘幸「故きを温ねて」(『全人』第665号 玉川大学出版部 2003年 に所収)
  • 玉川学園編『玉川教育: 玉川学園三十年』 玉川学園 1960年
  • 教科教育百年史編集委員会編『原典対訳 米国教育使節団報告書』建帛社 1986年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史(写真編)』 玉川学園 1980年

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