玉川豆知識 No.91

吹奏楽の甲子園と言われた普門館での第九合唱

1972(昭和47)年から全日本吹奏楽コンクールが開催され、「吹奏楽の甲子園」または「吹奏楽の聖地」と言われた普門館。その2年前、普門館が開館した年より、本学では音楽祭を同館にて開催。耐震基準の変更で使用ができなくなった2011(平成23)年まで、普門館での第九合唱は続きました。

1.普門館の解体

1970(昭和45)年4月に東京都杉並区の立正佼成会本部内に落成した普門館は、5,000人が収容可能な国内最大級の大ホールで、各種催しに幅広く使用されていました。しかし、東日本大震災後、耐震基準の変更に伴い耐震強度不足となり使用禁止に。建替も検討したようですが、建築基準法の規制で同規模のホールが建てられないことが判明し、使用禁止から6年を経た2018(平成30)年末に解体。解体前の2018(平成30)年11月5日から11月11日までの間、舞台上だけを開放し、「普門館からありがとう~吹奏楽の響きたちへ」が開かれ、延べ12,000人が来場して普門館との別れを惜しみました。

2005(平成17)年本学の音楽祭での吹奏楽の演奏

2.「吹奏楽の甲子園」または「吹奏楽の聖地」

1977(昭和52)年に来日した指揮者のヘルベルト・フォン・カラヤンが、ベルリン・フィルハーモニー管弦楽団を率いて、普門館にて公演を行いました。また、1981(昭和56)年には同館でマザー・テレサが講演。その他にも数多くの音楽コンサート等が普門館で開催されました。日本の吹奏楽において高校野球でいう「夏の甲子園」に匹敵する最も大きな大会である「全日本吹奏楽コンクール」の中学・高校の部の全国大会も、1972(昭和47)年に普門館で開催。同コンクールは、その後4年間は別会場で開催されましたが、1977(昭和52)年以降、耐震基準の変更で使用が禁止されるまでは毎年連続して普門館で開催。そのため普門館は、「吹奏楽の甲子園」または「吹奏楽の聖地」と呼ばれていました。

3.普門館での第九合唱

「玉川学園出演」と正式に記録された初の「第九」合唱は、1936(昭和11)年5月28日、日比谷公会堂で開催された「オリンピック蹴球選手送別音楽会」においてのこと。大日本合唱連盟の一員として、玉川学園が成城学園合唱団とともにステージに立ちました。以後、玉川学園では、第九合唱が恒例行事となりました。

オリンピック蹴球選手送別音楽会

玉川大学では、1968(昭和43)年からは「音楽」を1年生の必修科目とし、毎年音楽祭を開催して第九演奏・合唱を披露しています。その音楽祭は、全日本吹奏楽コンクールが普門館で初めて開催された2年前の1970(昭和45)年から同館で行われています。そして、2011(平成23)年までの42年間、1988(昭和63)年と翌1989(平成元)年以外はすべて普門館で開催されました。合計40回の開催となります。この間、「玉川学園創立50周年記念音楽祭」も同館にて行われました。

2005(平成17)年音楽祭
2011(平成23)年音楽祭

音楽祭は、1988(昭和63)年は昭和天皇の重篤の関係で学内の大体育館、翌1989(平成元)年は玉川学園創立60周年記念音楽祭として日本武道館でそれぞれ行われました。2012(平成24)年からは普門館が使用禁止となったため、パシフィコ横浜にて開催されています。

関連リンク

参考文献

  • 小原國芳「私の音楽教育八十五年」(迫新市郎著『私の音楽教育八十五年-創造性を高める-』玉川大学出版部 1971年 に所収)
  • 藤井百合「小原國芳と音楽教育―玉川学園の第九と共に歩んだ道(Ⅰ)―」(『論叢』10号 玉川学園女子短期大学 1986年 に所収)
  • 藤井百合「小原國芳と音楽教育―玉川学園の第九と共に歩んだ道(Ⅱ)―」(『論叢』11号 玉川学園女子短期大学 1987年 に所収)
  • 石橋哲成「玉川学園における『第九』演奏の歴史」(『新教育運動の展開、小原國芳の全人教育思想、そして玉川学園の教育』 玉川大学学術研究所 2013年 に所収)
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年