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小原記念館の誕生

2018.01.16

礼拝堂のすぐ横、聖山の中腹に、創立者小原國芳夫妻が過ごした住居があった。学生や生徒が集い、國芳を囲んで、國芳の話に耳を傾けていた光景がよく見られた。やがて國芳が亡くなった後、この住居は小原記念館として保存され、創立者の息づかいを伝えている。

1.小原國芳が過ごした住居

創立者小原國芳は玉川学園の現在の大学9号館付近に住居を構え、家族とともに生活を送っていた。

玉川学園創立当時に國芳一家が住んでいた家
1929(昭和4)年

1930(昭和5)年、礼拝堂がある小高い聖山の中腹に、自宅を建設し、そこに移り住んだ。そして、國芳は1977(昭和52)年12月に亡くなるまでこの家で過ごした。

新たに建設した自宅
1930(昭和5)年
昭和5年当時のお客の間
昭和40年に増築した自宅2階の玄関前にて(1階が雷々亭)

建物は平屋建ての部分と2階建ての部分があるが、傾斜地に建てられているため3階建てのようになっている。建物の向かって一番右側にある平屋建ての部分が「お客の間」。その名の通り、お客様を迎える部屋である。

そこから階段を上がったところに國芳夫妻が生活をしていた部屋が置かれていた。さらに両側に本棚が並ぶ階段を上ると書斎などの部屋がある階になる。書斎は天井まである本棚に囲まれている。ここで國芳は執筆などを行った。そして、その階下に雷々亭があった。

雷々亭の名前の由来は、國芳の落とす雷からきていると言われている。たびたび雷を落とすことから雷が二つ。この雷々亭では、学長と新入生の懇談会が行われた。國芳は新入生一人ひとりに名前や郷里をたずねながら懇談をしていた。國芳の後に学長となった小原哲郎もそれを引き継いで、新入生との懇談会を雷々亭で行った。

1977年2月には、「お客の間」のある1階部分を大改築した。そのときのことが、「全人」No.739(玉川大学出版部発行)につぎのように記されている。

「お客の間」のある一階部分は、一九七七年二月に大改築された。一九三〇年に建てられた家に、先生夫妻は半世紀近くを過ごしたことになる。建て直しを勧められても固辞し、校舎整備を優先にしたそうだ。
「お客の間」では今も低学年の子どもたちの歓声が、書斎のある階では礼拝堂の讃美歌が聞こえてくる。これらを聞きながら過ごしていた先生を思わず想像してしまう。

また、「お客の間」の大改築にともなうエピソードが、同誌に以下のように記述されている。

1977年の大改築の際に、國芳先生から「障子、欄間、天井を元のままに取り付けて欲しい」という希望が出た。取り壊すものと思っていた大工たちは驚いた。
「あまりに違うお客の間になったら、訪ねてきた卒業生が悲しむだろう」と、その理由を話された。
卒業生の思いを大切にする國芳先生らしいエピソードだ。

國芳はこの住居で、教職員や学生、生徒たちと語り合い、数多くの著作を生み出した。卒業生にとっても思い出深い建物である。

2.小原記念館の誕生

國芳夫妻が生活を送っていた住居は、お二人が亡くなった後、小原記念館として保存された。國芳夫妻が生前生活していた雰囲気を残し、その存在や思いを感じることのできる建物となっている。

2016(平成28)年に小原記念館の大改築工事が始まり、2017年3月30日に竣工。4月1日より新しくなった小原記念館が開館された。「お客の間」は耐震改修工事を、その他の部分は展示室としての工事を実施。國芳夫妻が生活をしていた中央棟の部分は、1階が学友会事務室とホール、2階が「二番の間*」という展示室になっている。学友会事務室を1階に配置したことにより、卒業生の見学者への対応が円滑に行われている。

ホール正面には、大型のディスプレイが壁に設置されており、現在の玉川学園のキャンパス風景を写真で紹介している。ディスプレイの正面に立つとセンサーが反応し、玉川学園校歌と学生歌が流れる。ホール向かって右手の階段を上がると、途中の踊り場に「一画多い夢」の文字。この夢の文字の横に立って記念撮影している卒業生をよく見かける。

階段を上がりきると「二番の間*」。その正面に、「玉川モットー」が記載された書が設置されている。その裏面には全人教育の6つの価値である「真・善・美・聖・健・富」の文字。

展示コーナーでは、「玉川学園の誕生」「玉川学園の教育」「創生期に関わった人々」という3つのテーマで壁3面にパネル展示がされている。そのパネル展示の中に、数多くの写真で玉川の歴史を紹介するためのタッチパネルディスプレイを設置。また、その他、本学で出版された本や愛吟集、徽章(バッジ)などの実物展示や、タッチパネルディスプレイによる校地の変遷の紹介なども行っている。AR機能(拡張現実)を活用して、さらに数多くの情報が得られるしくみも取り入れている。

「居間」に通じる廊下には、廊下ギャラリーとして、國芳が生前着用していた衣服や、公演旅行などの際に常に持参していた筆記用具、筆や硯などを展示。ここでは、AR機能(拡張現実)を使って國芳の声を聞くこともできる。

「居間」には、國芳と信夫人の経歴や國芳の肖像画を展示。さらに國芳の活動場面をディスプレイ画面で、数多くの写真を使って紹介している。

「書斎」はできる限り当時のままを再現している。ただし、当時書斎にあった書籍は、大学教育棟2階の「おやじさんの書斎(Book Salon)」に置かれている。

「和室」には、國芳の筆による書や絵、信夫人の肖像画などを展示している。

「居間」からホールへ下りる階段には、両側に本棚を配置し、できる限り当時の雰囲気を残すようにしている。本棚には書籍のほか、2台の小さなディスプレイを置き、玉川の歴史に残る出来事を数多くの写真で紹介している。

かつての「雷々亭」は談話室となっている。壁に大きなディスプレイが設置されており、映像を流すことが可能である。現在は、展示室見学前のガイダンスなどで使用している。

創立の頃に思いを馳せ、玉川学園・玉川大学の歴史を知り、さらに未来へつながる場として、新たな小原記念館が誕生した。

参考
  • 「二番の間」・・・國芳の住居の当時の電話番号が“2番”だったことから、いつしか國芳の居宅を“2番”と呼ぶようになった。
  • 國芳一家の住居の位置(当時の図面より)
1929(昭和4)年の玉川学園創立当時
(図面の青色の小原宅)
1930(昭和5)年に、
礼拝堂がある小高い聖山の中腹に住居を建設(図面の園長宅)

関連サイト

参考文献
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 『玉川学園の教育活動』 玉川学園 2008年
  • 白柳弘幸著『玉川の丘めぐり』(『全人』No.739 玉川大学出版部 2010年 に所収)
  • 小原記念館パンフレット

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