玉川の集い(玉川学園の集い)
「創立90周年記念式典 玉川の集い」は盛会のうちに終了した。「こんなに感動した式典は初めて」「玉川だからできた素晴らしい式典」と多くの方々から賛辞をいただいたが、これは90年の玉川の歴史の中で培ったものが伝統として受け継がれ、玉川ならではの形で花開いた結果でもある。例えば、その伝統の一つが「玉川の集い」であり、1952(昭和27)年に芸能教育発表会として第1回が開催された。
1.玉川学園芸能教育発表会
1935(昭和10)年に軍人会館(後の九段会館)において玉川学園祭が開催され、音楽や演劇などの発表が行われた。翌年の第2回玉川学園祭では音楽、演劇に加えてデンマーク体操の実演がプログラムに追加された。この2年にわたる学園祭の成功は、地方公演旅行を生み出していく。戦後になってからは玉川学園教育研究会の開催の際、あるいは通信教育部のスクーリングの期間などに、「玉川の夕べ」や「玉川の午後」といった名称で、音楽、舞踊、演劇、体操の発表会を開催。この伝統を飛躍的に発展させたのが「玉川の集い」であった。この「玉川の集い」は玉川学園芸能教育発表会として行われた。第1回の開催は1952(昭和27)年の2月9日・10日で、場所は読売ホール。第1部は合唱・合奏・舞踊・体操、第2部は演劇で演目は「塾の四季」。「玉川の集い」は1956(昭和31)年以降「玉川学園の集い」と名称を変更し、1958(昭和33)年まで毎年開催された。しかし、1959(昭和34)年からは、音楽祭、演劇発表会、舞踊発表会、体操発表会などに分化していった。


「玉川の集い」および「玉川学園の集い」の開催日・場所・演劇の題目は以下の通りである。
年 | 月 | 日 | 会場 | 演劇の題目 |
---|---|---|---|---|
1952(昭和27) | 2 | 9・10 | 読売ホール | 「塾の四季」 |
1953(昭和28) | 2 | 7・8 | 読売ホール | 「思うようにならない劇、蜜蜂ブンチの話」 |
7 | 12 | 日本青年館ホール | 「長いクリスマスディナー」 | |
1954(昭和29) | 2 | 6・7 | 日本青年館ホール | 「貝の火」 |
1955(昭和30) | 1 | 29・30 | 日本青年館ホール | 「ピーターパン」 |
1956(昭和31) | 2 | 4・5 | 日本青年館ホール | 「ピノキオ」 |
1957(昭和32) | 2 | 9・10 | 日本青年館ホール | 「王子と乞食」 |
1958(昭和33) | 2 | 8・9 | 九段会館 | 「塾の四季」 |

2.写真で見る「玉川の集い」および「玉川学園の集い」
【1952(昭和27)年】


【1953(昭和28)年】



の終了後のカーテンコール
【1954(昭和29)年】




【1955(昭和30)年】


【1956(昭和31)年】




【1957(昭和32)年】







【1958(昭和33)年】






3.記念式典
2009年11月26日、横浜アリーナにて「創立80周年記念式典 玉川学園の集い」を開催。児童・生徒・大学生をはじめ来賓・保護者・卒業生など総勢10,000名が集まり、華やかで温かさにあふれたものとなった。






そして、その10年後、2019年11月28日、横浜アリーナにて「創立90周年記念式典 玉川の集い」を開催。児童・生徒・大学生をはじめ来賓・保護者・卒業生など総勢12,000名が集まり、90周年を祝う華やかな式典となった。通常の式典のような来賓者の挨拶はなく、園児、児童、生徒、学生たちによる歌、踊り、演奏、朗読などのパフォーマンスを中心に、スクリーンに映し出された懐かしい映像や、「一枚の未来画コンクール」の「ゆめ大賞」の発表などを加え、盛りだくさんの内容で90周年を祝った。まさにその内容は、1935(昭和10)年に開催された玉川学園祭、その後の地方公演旅行、「玉川の夕べ」や「玉川の午後」、そして「玉川の集い」および「玉川学園の集い」の良き伝統を継承したものであり、玉川でしかできないものとして多くの人たちに感動を与えた。










関連サイト
参考文献
- 小原國芳監修『全人』 玉川大学出版部
第32号~第35号(1952年)、第43号(1953年) - 小原國芳監修『全人』 玉川学園大学出版部
第48号(1953年)、第55号(1954年)、第66号・第67号(1955年)、
第79号(1956年)、第91号(1957年)、第103号(1958年) - 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
- 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史(写真編)』 玉川学園 1980年