写真で見る玉川学園の歴史⑧1961年~1965年
2020.01.29
工学部と女子短期大学を開設。箱根実習林を取得。近代オーストリア・スキーの父といわれるオーストリア国立スキー教師養成所のシュテファン・クルッケンハウザー教授を招聘。玉川学園メキシコ親善使節団の公演旅行では公演のほか、野口英世博士像の除幕式での合唱、メキシコ大統領訪問などを行う。
1.1961(昭和36)年
月 | 日 | 出来事 |
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1 | 18 | インドのボース博士夫妻が来園 |
28 | 玉川大学英文学会創立総会開催 | |
2 | 4・5 | 「玉川の集い」を文京公会堂にて開催。音楽、体操、学校劇の発表。学校劇は「金時計」を上演 |
6 | 全国から集まったリコー シンクロファックス研究会員が来園 | |
17 | ペスタロッチ祭を開催。劇「酔人の妻」を上演 | |
3 | 2 | メキシコのメリダ医科大学に銅像を贈るための野口英世博士像贈呈式を行う。アルフォンソ・カストロ・バーエ駐日メキシコ大使一行が来園し参列 |
4 | 中学部新校舎は、英語、化学、工芸等の設備の整備が完了したので、4月から一部を使用 | |
6 | 19 | 文学部校舎の落成式、工学部校舎および女子塾舎の地鎮祭を執り行う |
20 | 16mm映画「玉川学園の教育」が完成 | |
21 | 玉川学園メキシコ親善使節団(団長:小原國芳、教職員7人、研究生5人、大学生9人、高等部生9人、中学部生5人、小学部生4人の計40人からなる。副団長はメキシコ公演の総監督でもあった岡田陽)が公演旅行に出発(~7月17日)。野口英世像の除幕式に参加、メキシコ大統領を表敬訪問。メキシコ、ロサンゼルス、ハワイに滞在した一行は、メキシコ市、メリダ市、オァハカ市、ロサンゼルス市、ホノルル市で計14回の芸能公演を実施。ラジオ・テレビの出演を加えると公演回数は17回 | |
24~26 | 第1回玉川学園造形教育実技講習会(第2回より玉川学園造形教育研究会に名称変更)を開催 | |
9 | ロングビーチ州立大学のワーナー博士が来園 | |
10 | 16 | 御木本隆三氏が来園し、ラスキン・ライブラリーの展示会 |
11 | 23 | 『梁田貞名曲集』の出版記念を兼ねて厚生年金ホールにて小学部生から大学生までの音楽発表会を開催。大学生は近衛秀麿氏の指揮、ABC交響楽団の演奏で「第九」を合唱 |
12 | 2 | 都私立中学高校協会11支部英語スピーチコンテストにおいて、中学部生、高等部生がともに優勝 |
17 | 暁峰塾焼失 |
























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2.1962(昭和37)年
月 | 日 | 出来事 |
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1 | 20 | 工学部(機械工学科、電子工学科、経営工学科)設置認可 |
2 | 24・25 | 「玉川の集い」を厚生年金ホールにて開催。音楽、体操、学校劇の発表。学校劇は「ピーターパン」を上演 |
4 | 1 | 工学部開設。本年度から大学1年次は教養部として学部より独立。この年の大学(教養部)の入学式は4月15日に高等部生も特別に参列し、2500人以上の参会者を数え、これまでの礼拝堂から小学部グラウンドに会場を移して開催 |
8 | スイス大使や東南アジアの文部大臣たちが来園 | |
10 | アンデルセン生誕150周年を記念し、大学の美術部の学生たちが小学部の校庭にて製作中のアンデルセン像について、来園中のアンデルセン博物館長のスペン・ラーセン氏から助言を受ける | |
13 | 大学塾の女子塾に新たに竜胆(りんどう)塾が加わり、学生たちがこの日入塾 | |
7 | 6 | ロングビーチ州立大学長のマッキントッシュ博士夫妻が来園。博士に玉川大学名誉教授の称号を贈る |
12 | 小学部鼓笛隊誕生発表会 | |
9 | 14 | ボストン大学のセオドア・ブラメルド博士が来園 |
正門の玉川池の中に、玉川モットーが刻み込まれている石碑を建立 | ||
10 | 11 | 高等部生2、3年生40名が、日本の学生・生徒を代表して、羽田空港にてメキシコ大統領をお出迎え。 昨年、玉川学園メキシコ親善使節団としてメキシコを訪問した学生・生徒・児童を中心とした40名は迎賓館に招待され、メキシコ大統領と再会。彼らはメキシコ国歌の合唱で大統領を迎え、大統領は学生・生徒・児童一人ひとりと握手 |
13・14 | 工学部の設立を記念して、玉川綜合演劇学園劇「ガリレオ・ガリレイの生涯」を日本都市センターホールにて上演 | |
17 | 箱根実習林(772,873m2)を取得(売買契約)。10月19日に登記受付。箱根演習林の面積は772,873m2。神奈川県の西部箱根町の南東側古期外輪山内壁に位置し、標高は下部が須雲川流域の410mで、最後部が弁天山山頂の990m。住所は神奈川県足柄下郡箱根町畑宿 | |
22 | 学生たちの労作により聖山裏にテニスコートが完成 | |
11 | 5 | 玉川大学出版部より、オーストリア・スキーの総合解説書(技術書)『シー・ハイル』を刊行 |
9 | 中学部生の労作により完成した中学部のアトラス池完成祝賀式を開催 | |
12 | 16 | 文京公会堂にて玉川学園音楽祭を開催。合唱、オーケストラ、指揮等を玉川学園の大学生・高等部生、卒業生だけで行った初めての「第九交響曲」の演奏となった |



























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3.1963(昭和38)年
月 | 日 | 出来事 |
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1 | 5~9 | スキーの本場オーストリアから2名のスキー教師を招いて、白馬山麓の親ノ原スキー場でスキー講習会を開催。中学部以上の生徒から教職員、卒業生まで約450名が参加。人数の多さからシュヴァルツェンバッへル氏が来て下さって3名のスキー教師が指導に当たった。この講習会を機にスキー学校が本格化 |
2 | 11 | 玉川学園と成城学園が招聘した、近代オーストリア・スキーの父といわれるオーストリア国立スキー教師養成所のシュテファン・クルッケンハウザー教授が来日。羽田空港のロビーやデッキで学生・生徒が盛大に出迎え |
13 | クルッケンハウザー教授一行が来園。小学部グラウンドにて歓迎式典を開催。玉川大学名誉教授の称号がクルッケンハウザー教授に贈られる。その後小学部と中学部を参観して、三角点(経塚山)にてハンネス・シュナイダー像の除幕式に参加 | |
16 | クルッケンハウザー教授一行の歓迎式典が厚生年金会館で行われた | |
18 | クルッケンハウザー教授一行の歓迎パーティーが赤坂プリンスホテルの大広間で行われた | |
3 | 11 | クルッケンハウザー教授一行5名、オーストリア大使夫妻、小原國芳、西潟成城学園高等学校長、福岡法政大学教授(通訳)は、東宮御所にて皇太子殿下に拝謁 |
4 | 6 | 男子塾新館落成。中学部生61名、高等部生133名、大学生195名が入塾。5月10日、小原國芳が「暁峰塾」と命名 |
15 | 「玉川百科大辞典」全31巻完結 | |
20 | 小原國芳自伝『夢みる人』第2巻を刊行 | |
30 | シュヴァイツァー博士の令嬢であるレナ・エッケルト夫人が来園。シュヴァイツァー病院に顕微鏡を贈呈 | |
5 | 7 | ボストン郊外にあるセイヤ―学園より教師1名と生徒2名が交換学生として来園。6月13日に本学から教師1名と生徒2名をセイヤー学園に派遣 |
6 | 29 | 市ヶ谷の私学会館大ホールにおいて玉川百科大辞典完結記念祝賀会を開催。参加者約500名を2回に分けて実施 |
7 | 16~20 | 中学部3年山岳鍛錬旅行を実施 |
18 | デンバー大学のアルター総長夫妻が来園 | |
29 | ブルックリン大学教育部長のヘレン・ブレル女史が来園し、通大スクーリングを中心に学園を参観 | |
8 | 14 | ウェストミンスター合唱大学名誉学長のウィリアムスン博士が来園し、合唱講習会を開催 |
9 | 21・22 | 玉川演劇発表会を日本都市センターホールにて開催。玉川綜合学園劇「地球光りなさい」を上演 |
10 | 工学部校舎完成 | |
11 | 2 | 10月24日に内定の連絡をいただいていた「玉川百科大辞典」の毎日出版文化賞特別賞の受賞が、今朝の新聞にて発表された |
9 | デンマーク日本協会会長のエルム博士夫妻を招いてアンデルセン像の除幕式を行う | |
16 | 新梁山塾完成式を開催。新梁山塾は、1、2階が中学部生、3、4階は大学生が入塾 | |
16、18、22 | NHKテレビで、中学部男子生徒によるタンブリング(組体操)がカラー映像にて3日間全国放送 | |
12 | 8 | 小原國芳喜寿祝賀音楽祭を文京公会堂にて開催 |
19~21 | 第1回大学文化祭を開催。大学文化祭は1968(昭和43)年からコスモス祭と呼ばれるようになる | |
25 | 小原國芳喜寿感謝会を九段会館にて開催 |






























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4.1964(昭和39)年
月 | 日 | 出来事 |
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1 | 11 | 文学部に芸術学科、農学部に農芸化学科を増設認可 |
27 | 通信制普通科高校である玉川学園富士高等学校、設置認可 | |
2 | 10 | 中学部相撲大会に君錦はじめ関取7名が来園 |
3 | 25 | 女子塾として海棠塾が完成 |
4 | 10 | 国際新教育協会インド会長のバイヤス氏夫妻および他2名が新教育視察のために来園 |
22 | NHK教育テレビが塾の生活を撮影 | |
5 | 14~16 | 農学部の箱根実習がはじまる |
7 | 12 | 通大卒業生幹部会により、通大卒業生会が「芳友会」と名付けられた |
25~29 | 小・中・高・大の児童・生徒・学生35名からなる玉川学園芸能隊が佐渡相川方面で合唱、体操、演劇公演 | |
8 | 20 | 農学部の牛舎が落成 |
11 | 1 | 大運動場完成記念祝賀体育祭を開催。富士高等学校の生徒63名も参加 |
12 | 2 | 東京文化会館において玉川学園音楽祭を開催 |








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5.1965(昭和40)年
月 | 日 | 出来事 |
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1 | 16 | ロングビーチ大学のワーナー教授夫妻がメリーランドからの留学生17名を引率して来園 |
24 | 玉川大学合唱団が第1回定期演奏会を開催 | |
25 | 玉川学園女子短期大学設置認可。教養科のみの組織構成 英国の国際新教育協会のレイモンド・キング氏が来園 |
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2 | 4 | ニューヨーク大学のレディファー教授をはじめとした東南アジア教育視察団一行20数名が来園 |
15~17 | 小原國芳、NHKラジオ第一放送の「人生読本」に出演。3日間連続放送で、それぞれの題目は「父」、「母」、「子」 | |
4 | 7 | メリダ大学で野口英世博士の直弟子であったビヤヌエバ博士と令嬢をメキシコより招待 |
17 | 小原國芳はビヤヌエバ博士と令嬢を御所にお連れして、皇太子殿下へ御拝謁 | |
20 | 完成間近な大体育館にて玉川大学・玉川学園女子短期大学入学式を挙行 | |
5 | 6 | 小原國芳、勲三等旭日中綬章叙勲 |
31 | 玉川インザUSA計画の第1回留学生派遣。派遣大学はイリノイ州マンマス大学。留学期間は3か月。参加者は中学部と高等部の生徒34名と教師3名 | |
6 | 5 | 厚生年金会館において開催された全国英語教授法研究会で、モデル教室として、今年初めて英語を習う1年生30名を集めてハーバートメソッドにもとづいて指導しているクラスの英語の授業を出張公開 |
19・20・27 | 玉川大学文学部芸術学科発足記念公演「ヴィルヘルム・テル」を日本都市センターホールにて上演 | |
28・30・7/3 | アリゴ・ポーラ氏が来園。独唱会と公開レッスンを行う | |
7 | 13 | 全米比較教育学協会主催の東南アジア諸国教育視察団一行が来園。団長のゼラルド・リード博士をはじめ総勢102名 |
8 | 5 | 第17回国際美術教育会議に参加した諸外国代表者50名が来園 |
9 | 18 | 玉川大学管弦楽団が第1回定期演奏会を礼拝堂で開催 |
30 | 第3回全国小中学生作詞作曲コンクールで、小学部6年の児童の「山」が作詞の部で最優秀作品(文部大臣)に選ばれる | |
10 | 17 | 東京都合唱コンクールにおいて、玉川学園高等部男声合唱団が高校Aブロックで第1位 |
11 | 3 | 玉川大学第一次建設完成内祝の式典と文化祭(~5日)を開催 |
11 | 目でみる全人教育シリーズとして、小学部・中学部の実践報告『小学教育』・『中学教育』を刊行 | |
12 | 11・12 | 東京文化会館において、玉川学園音楽祭を開催。『成田為三名曲集』の刊行を記念して玉川大学合唱団によって「浜辺の歌」などが歌われた |


















関連リンク
参考文献
- 小原國芳監修『全人教育』 玉川大学出版部 第138号(1961年)~第198号(1966年)
- 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
- 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史(写真編)』 玉川学園 1980年
- 玉川学園編『写真集 小原國芳 信』 玉川大学出版部 1978年
- 玉川学園編『玉川教育―玉川学園三十年―』 玉川大学出版部 1960年
- 塾編集委員会編『玉川学園 塾の歩み五十五年』 玉川大学・玉川学園女子短期大学塾 1985年