玉川学園演劇舞踊団アメリカ・カナダ公演
1989(平成元)年8月14日から9月20日の間、玉川学園演劇舞踊団がアメリカ・カナダの8都市で23回の公演を行い、『ニューヨークタイムズ』などで絶賛された。約3年間の準備を経て、国際交流基金の後援を得て行われた今回の公演で、海外公演はメキシコ訪問以来7回目を数える。
1.アメリカ・カナダにて公演
海外公演は、メキシコ・アメリカ公演(1961年)、ヨーロッパ・アメリカ公演(1968年)、ギリシア公演(1972年)、アメリカ・カナダ公演(1978年)、イギリス公演(1981年)、カナダ・アメリカ公演(1986年)に次いで今回で7回目を数える。なお今回の玉川学園演劇舞踊団によるアメリカ・カナダ公演は、ワシントン州制定百年祭の関連事業として、また翌年度に計画中であるニューヨークのアメリカン・フォーク・シアター(AFT)との相互交流第1回目の事業としての公演であった。
参加団員
オーディションで選ばれた玉川大学生36名と玉川学園小学部生が1名、スタッフを兼務する引率教職員が10名。団員は、ローリー、タコマ、ナナイモではホームステイを体験
訪問都市
ニューヨーク州ニューヨーク市、ノースカロライナ州ローリー市、ワシントン州タコマ市、シアトル市、オリンピア市、ピュヤラップ市、カナダのブリティッシュ・コロンビア州ナナイモ市、ダンカン市の8都市
公演回数
北米有数の農業祭であるピュヤラップ・フェアでの8回のショートプログラムを含んで全23回
13の演目
「祝節」「エイサー」「津軽じょんがら節」「会津磐梯山」「鳥取傘おどり」「ひえつき節」「小原節」「釣女」「津軽荒馬おどり」「陀羅尼-みまかりし人の鎮魂のために-」「連獅子」「山ふところ」「玉川太鼓 ’89」
2.ニューヨークでの公演
1989(平成元)年8月14日の昼に、玉川学園演劇舞踊団一行は成田を出発、同日昼にニューヨークに到着。ニューヨークでは、団員たちは学生寮に宿泊。翌15日の夜はブロードウェイにてミュージカルを鑑賞。16日は舞台の準備。17日はニューヨーク市庁舎前にてデモンストレーション。まず太鼓で開会を宣言。そしてニューヨーク市長代理の挨拶の後、鈴木都知事からの親書を届け、玉川学園よりニューヨーク市へ玉川大学出版部刊行の図書『能面』を贈呈。その後、「鳥取傘おどり」「津軽じょんがら節」「会津磐梯山」を披露し、最後に再び太鼓演奏。このデモンストレーションの模様は、現地テレビ4チャンネルで放映された。その日の夜、ペイス大学のシメルセンターにて最初の公演。18日は2回目の公演。
19日はAFT主催による実技講習会(ワークショップ)。夜は3回目の公演。20日は4回目、5回目の公演。この日の公演を取材したニューヨーク・タイムズは、8月24日付の紙面で「東京の学生たち 対をなす新旧の芸術」というタイトルで、写真入りで大きく批評を掲載。
3.ローリーでの公演
23日、第二の訪問地であるローリーへ。主催者であるノースカロライナ州立大学の先生方の出迎えを受けた後、バスで今回唯一の小旅行へ。到着したバージニア州ウィリアムズバーグではモーターハウスホテルに宿泊。24日、ウィリアムズバーグを見学後、再びバスでノースカロライナ州に戻り、トンプソン劇場で、関係者やホストファミリーと対面。25日、ノースカロライナ州立大学の学生会館にあるスチュワート劇場で舞台準備を開始。昼食後、学生会館前にて太鼓のデモンストレーション。26日、6回目の公演(ローリーでの初公演)。カーテンコールではスタンディングオベーションに学生たちも感激。27日、7回目の公演。
28日、昼は太鼓のデモンストレーション、午後3時からスチュワート劇場で、日舞のメーキャップと着付の実技講習会(ワークショップ)。午後5時30分からは、WRALテレビのニュースで生中継。小原芳明団長が解説。その背景では、津軽荒馬おどりを踊る学生たちの姿が放送された。夜は8回目の公演。
29日、ノースカロライナ州知事を表敬訪問。あいにく州知事は急用で不在だったため州知事代理に玉川大学出版部刊行の図書『能面』を贈呈。その後、ノースカロライナ州立大学の学長を表敬訪問。玉川学園からの記念図書のほか137冊の図書を寄贈。さらにノースカロライナ州立大学の学生のために太鼓のワークショップ を行う。
4.タコマでの公演
30日、第三の訪問地であるタコマに移動。主催校であるタコマ・コミュニティ・カレッジにて、関係者の紹介の後、ホストファリーと対面。9月12日までの約2週間、タコマ市を拠点として近隣の都市で公演を行った。31日、万国博の跡地であるシアトルセンター内のバーグレーライト劇場にて舞台の準備。9月1日、太鼓のメンバーのみダウンタウンにあるシェラトンホテルにおいて、太鼓のデモンストレーション。テレビ撮影の後、タコマモールというショッピングセンターで、「太鼓」「鳥取傘おどり」「津軽じょんがら節」「会津磐梯山」のデモンストレーションを行った。2日はホストファミリーと過ごす。3日、シアトルセンターに向かい北米有数の芸術祭であるバンバーシュート・フェスティバルを見学。夕方から、9回目の公演(ワシントン州での最初の公演)。4日は終日、ホストファミリーと過ごす。5日は1980(昭和55)年に噴火したセント・ヘレンズ山を見学。
6日、日系のシアトル敬老ホームにて慰問公演。中庭にて「太鼓」、つづいて食堂ホールにて「祝節」「ひえつき節」「エイサー」を踊った。その後は、「小原節」「春が来た」「さくらさくら」の合唱。そして「津軽じょんがら節」「会津磐梯山」「鳥取傘おどり」を踊る。さらに「学生歌」「小さな世界」を合唱。歌の終りに一人ずつカーネーションを手渡しでプレゼントした。
7日、ワシントン州の州都オリンピアにある公演会場ワシントン・センター・フォー・ザ・パフォーミング・アーツにて舞台の準備。劇場近くの公園で宣伝のための太鼓のデモンストレーション。午後から小原芳明団長ほか12名が州知事を表敬訪問。代理の方に玉川学園からの記念の図書を贈呈。つづいて州官房長官を表敬訪問。夜、10回目の公演。8日、タコマのダウンタウンにあるパンテージス・センターというオペラハウスにて舞台の準備。午後、小原芳明団長ほか8名がタコマ市長を表敬訪問。玉川学園からの記念の図書を贈呈した。夜、11回目の公演。公演終了後にレセプション。
9日、北米有数の農業祭ピュヤラップ・フェアにて約40分のショート・プログラムを4回公演。演目は「津軽荒馬おどり」「祝節」「エイサー」「津軽じょんがら節」「会津磐梯山」「鳥取傘おどり」「太鼓」であった。10日も同様に4回のショート・プログラムを公演。11日、シアトルに行き、ワシントン大学のキャンパスを見学。
5.ナナイモでの公演
12日、カナダのブリティッシュ・コロンビア州ナナイモに到着し、マラスピナ大学において、ホストファミリーと対面。13日、ダンカンのカウチン・コミュニティ・センターにて舞台の準備を開始。14日、15日と公演。16日は午後に22回目の公演。そして夜に最終公演。終演後には衣装のままロビーにて乾杯。再び劇場内に戻って、マラスピナ大学の学長およびナナイモ市長より、一人ひとりが記念品をいただく。玉川学園からも記念の図書を贈呈。
18日、玉川学園ナナイモ校地を訪問。その後、ダンカン、ビクトリアを観光。19日、パンクーバーに向かい、そこから日本へ。玉川学園演劇舞踊団は37日間にわたる公演を無事に終えて、20日の午後3時15分に新東京国際空港に帰着した。
6.アメリカ・カナダ公演のスケジュールならびにスタッフ
スケジュール
月 | 日 | 主な活動 |
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8 | 14 |
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スタッフ
担当名 | 教員・卒業生名 |
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団長 | 小原 芳明 |
副団長・渉外・舞台技術 | 方 勝 |
制作・写真記録 | 法月 敏彦 |
通訳・文書記録 | 島川 聖一郎 |
舞台監督・舞踊指導 | 小山 正 |
舞踊指導主任 | 岡田 純子 |
舞踊指導 | 小野 真理子 |
舞踊指導 | 小川 洋子 |
照明 | 菊地 芳子 |
7.日本での披露公演(パルテノン多摩)
玉川学園演劇舞踊団によるアメリカ・カナダ公演に先立って、8月4日・5日の両日、パルテノン多摩において、披露公演が行われた。団員たちは、公演をご覧になられた高円宮憲仁親王より、激励のお言葉を賜った。
披露公演の演目は以下の通り。
一部
祝節
エイサー
津軽じょんがら節
会津磐梯山
鳥取傘おどり
ひえつき節
小原節
釣女
津軽荒馬おどり
二部
陀羅尼
連獅子
山ふところ
玉川太鼓’89
8.写真で見る演目
関連サイト
参考文献
小原哲郎監修『全人教育』 玉川大学出版部
第495号、第496号、第497号(1989年)