労作教育研究会
玉川学園創立の4か月後の1929(昭和4)年8月15日、7日間の日程で第1回労作教育修養会が開催された。さらに1931(昭和6)年の第3回開催から労作教育研究会と名称を変更し、1940(昭和15)年には国民学校研究会という名称で実施された。以後、交通統制により中止となったが、戦後に玉川で開催された教育研究会につながるものといえる。
1. 第1回労作教育修養会
第1回労作教育修養会が、玉川学園創立の4か月後の1929(昭和4)年8月15日から21日までの7日間、玉川学園で開催された。対象は先生方と青年団幹部。講習料および宿泊料は無料。参加者は56名であった。そのことが『全人』第685号の「故きを温ねて(ふるきをたずねて)」に次のように記されている。
午前中は小原國芳をはじめとする学園教職員による「労作教育論」「綴方教育論」等の講演。午後は学園各所に分かれて労作体験。そして夕食後は会員相互による自由な語らいの時間。労作教育の理論と実践とを普及する願いを込めた日程が組まれている。
「一切の知識を死學問、無生命の暗記としないで、證得して欲しい、勞作化して欲しい、實證して欲しい、體驗して欲しい。いわんや諸君の勞作、工夫、製作の間にありて、その頭腦の練られることが實に貴い」(『學園日記』第四號)と労作教育への熱い思いを小原國芳は説く。
「第一回労作教育修養会」に、遠く米国ユタ州からも含め、北は樺太から南は鹿児島、三府一六県より五六名が参加。現職教員だけでなく校長の職にある者も含まれていた。労作教育への関心が世の中に広まっていることがわかるものである。
参加者全員が塾に宿泊し、朝は礼拝、午前は学習、午後は労作、夜は懇談会。労作としては運動場の改修、道路の修築、薪の採取、草刈、養蚕、電話の架設、工芸、風呂炊、図書の管理、家具工作、農芸等の種類があり、それぞれ分担して行われた。夏の日差しの強い炎天下に、額に汗しながら体験を通して学ぶ。学園側も教職員、生徒あげて遠来の参加者を迎え、共に収穫の多い集りとなった。会期中、世界一周を試みつつあった飛行船ツェッペリン伯号が学園上空を飛行した。

続いて師範学校上級生対象として同年8月23日から28日までの間にも労作教育修養会が実施された。こちらも講習料および宿泊料は無料。参加者は59名であった。
2. 労作教育研究会に改称、そしてその後
1931(昭和6)年の第3回開催から労作教育研究会と名称を変更。1940(昭和15)年の第13回は国民学校研究会という名称で開催された。翌年の第14回は、国民学校案による講習会を文部省以外で行うことが禁止されたため、内容を「国防と教育」ということに切り換えて実施しようとしたが、交通統制により中止となった。
【参考】
<労作教育>
労作教育について、小原國芳著『全人教育論』(玉川大学出版部)に次のような記述がある。
ペスタロッチが身を以って強調した通り、実に教育の根本は労作教育にあります。額に汗を流し、労しむことは万人の喜びであり、誇りであり、義務だと思います。「作」は「作業」の作ではなくて、創作の作なのです。合せて「労作」と名づけたのです。
(略)
真の知育は、注入や棒暗記、試験勉強や単なる説明等の方法では得られるものではありませぬ。苦しみ、作り、体験し、試み、考え、行なうことによってこそ得られるのです。
(略)
「百聞は一見に如かず」、しかも百見は一労作に如かないと思います。
(略)
労作教育は実に、聖育、知育、徳育、美育、生産教育、健康教育の綜合全一なのであります。




<労作教育研究会の開催内容>
第1回労作教育修養会 1929(昭和4)年 | ||
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日程 | 講演者と講演テーマ | 特記事項 |
8月15日~21日
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伊藤孝一/塾教育に就いて 小原國芳/労作教育論 谷口武/綴方教育論 藤井勉三/訓練論 仲原善忠/地理教育論 石井掬/児童数学教育について 真篠俊雄/歌謡形式一般 松原惟一/理科学習の諸問題 田尾一一/文学の本質 |
56名参加(定員50名) 簡易生活の中で鍛錬を中心に行う。 講習料・宿泊料無料 |
8月23日~28日
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谷口武/綴方教育論 小原國芳/労作教育論 松原惟一/生物学習に就いて 高橋政志/書道に於ける一考察 仲原善忠/英国の地理教育 小桝儀重/玉川学園を見て 宇崎重二/ペスタロッチの宗教と教育 伊藤孝一/塾教育の実際 栗田茂治/国史教育論 青野賢三/物質の構造と化学的性質 田尾一一/文学の表現形式 |
59名参加(定員50名) 簡易生活の中で鍛錬を中心に行う。 講習料・宿泊料無料 |
第2回労作教育修養会 1930(昭和5)年 | ||
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日程 | 講演者と講演テーマ | 特記事項 |
7月30日~8月4日
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54名参加 <労作分担>
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第3回労作教育研究会 1931(昭和6)年 | ||
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日程 | 講演者と講演テーマ | 特記事項 |
6月8日~20日 <3日ずつ4回開催> 8時~10時 参観 11時~13時 講演 13時半~ 参観 夜 座談会
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48名参加 労作教育研究会と名称変更 会費は1回につき1円 学園内に宿泊の場合は一泊三食で1円 |
第4回労作教育研究会 1932(昭和7)年 | ||
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日程 | 講演者と講演テーマ | 特記事項 |
6月9日~11日 講演、研究発表のほか、 9日 体操講習 10日 リトミック 夜には音楽の夕べとして真篠俊雄のパイプオルガン演奏、梁田貞とガルマンの独唱、塾生の「クックーと猟師」の合唱等が行われた。 |
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約600名参加 講演のほか、研究発表が加わり、夜の音楽の夕べ等も行われた。研究会終了後、約200名の会員により基本体操講習会が開催された。 |
第5回労作教育研究会 1932(昭和7)年 | ||
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日程 | 講演者と講演テーマ | 特記事項 |
8月2日~4日
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90名参加、会費1円 第4回の労作教育研究会に出席できなかった会員のために開催 この年、「労作教育の具体案」と「教育による農村救済案」の懸賞募集が行われた。一等、二等は該当者なし、三等が1名、佳作が5名であった。それぞれ賞金が付与された。 |
第6回労作教育研究会 1933(昭和8)年 | ||
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日程 | 講演者と講演テーマ | 特記事項 |
6月9日~11日
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約300名参加 講演に続き、参加各校の中から研究発表が行われた。 |
第7回労作教育研究会 1934(昭和9)年 | ||
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日程 | 講演者と講演テーマ | 特記事項 |
6月9日~11日
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約300名参加 会費は2円 講演に引き続き、参加校および本学の田尾一一、中野聖の研究発表があった。 |
第8回労作教育研究会 1935(昭和10)年 | ||
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日程 | 講演者と講演テーマ | 特記事項 |
8月7日~9日
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第9回労作教育研究会 1936(昭和11)年 | ||
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日程 | 講演者と講演テーマ | 特記事項 |
6月5日~9日
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約400名参加 6月4日から8日まで開催の体操講習会と日程がほぼ重なっていた。 |
第10回労作教育研究会 1937(昭和12)年 | ||
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日程 | 講演者と講演テーマ | 特記事項 |
6月5日~7日
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約300名参加、会費は1円 6月5日から8日まで開催の体操講習会と日程がほぼ重なっていた。 研究主題は「労作教育の実際」であった。 |
第11回労作教育研究会 1938(昭和13)年 | ||
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日程 | 講演者と講演テーマ | 特記事項 |
6月18日~20日 学習参観や労作参観のほか、19日には玉川の夕べが開かれ、小原國芳の外国旅行のおみやげ品、パンフレット、絵はがき等に、美術部の作品も加わり、展覧会が開催された。 |
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会費は2円 研究発表として、浜田明伸の「外国地理の再構成」と岡本敏明の「合唱指導について」があった。 |
第12回労作教育研究会 1939(昭和14)年 | ||
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日程 | 講演者と講演テーマ | 特記事項 |
7月1日~2日
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実習として、第一部が石井漠による小学唱歌の舞踊振付練習(指導は石垣初枝)、第二部が労作訓練であった。 |
第13回国民学校研究会 1940(昭和15)年 | ||
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日程 | 講演者と講演テーマ | 特記事項 |
6月1日~3日 2日の「玉川の夕べ」では手品や劇、梁田貞の独唱、第九交響曲の合唱等が行われた。 |
【講演】
【研究発表】
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国民学校研究会と改称 |
第14回教育研究会は、国民学校案による講習会を文部省以外で開催することが禁止されたため、内容を国防と教育ということに変更して行うこととした。しかし、交通統制により実施することが困難となり、中止となった。参考までに、実施要項に記載されていた開催内容を紹介する。
【開催内容】
- 1国防と教育
- 長尾喜一/
国防と教育の諸問題
- 鈴木庫三/
陸軍と国防教育
- 中村重一/
海軍と国防教育
- 小汀利得/
経済と国防
- 長田新/
国防と教育の本義
- 長尾喜一/
- 2国民学校の具体案
- 長田新/
国民学校の精神
- 石井漠/
芸能科の本質と児童の天性
- 学園職員/
各科の具体案
- 小原國芳/
経営の具体案
- 長田新/
このほか、座談会、公開学習、研究発表
- 実演・実習 音楽
岡本敏明
- 舞踊
石井漠
- 体操
斎藤由理男
- 「玉川の夕べ」
参考文献
- 小原國芳著『全人教育論』 玉川大学出版部 1976年(第15刷)
- 白柳弘幸「故きを温ねて」(『全人』第685号 玉川大学出版部 2005年 に所収)
- 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
- 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史 写真編』 玉川学園 1980年