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写真で見る玉川学園の歴史③ 1936(昭和11)年~1940(昭和15)年

2019.07.05

「玉川学園出演」と正式に記録された初の「第九」合唱への参加、全国競演合唱祭での3年連続優勝、東北・関西・九州への音楽・体操公演旅行、『児童百科大辞典』の刊行、玉川塾専門部の設置、新工業教育のスタートなどが、この5年間の主な出来事であった。

1.1936(昭和11)年

出来事
29 第2回玉川学園祭を軍人会館(後の九段会館)で開催し、合唱、体操および劇「思い出の国」(「青い鳥」の一幕)を上演
320 『日本学校劇集』刊行記念座談会を開催
419 グラウンドにて馬術競技会を開催
28 東北地方へ音楽・体操公演旅行(~5月7日)
528 日比谷公会堂で開催された「オリンピック蹴球選手送別音楽会」に参加。「玉川学園出演」と正式に記録された初の「第九」合唱
712~23 関西、九州方面へ音楽・体操公演旅行
28 小原國芳学園長、中国・青島方面に講演旅行のため門司港を出港(~8月7日)
925~27 小原國芳学園長、江田島の海軍兵学校を教育視察
1119 軍艦「高雄」見学。これを契機に海軍の甲板体操と玉川体操の連繋が密になり、海軍体操が誕生
23 第10回全国競演合唱祭において、混声の部では初参加した第7回より4年連続第1位、総合では初めて第1位を獲得
122 混声合唱、ラジオ放送に出演
6 永野修身海軍大将が視察のために来園
「思い出の国」(「青い鳥」の一幕)
東北公演旅行
オリンピック蹴球選手送別音楽会
江田島の海軍兵学校を教育視察
関西・九州地方公演旅行
関西・九州地方公演旅行
第10回全国競演合唱祭

関連リンク

2.1937(昭和12)年

出来事
212~17 東海道地方へ音楽・体操公演旅行
35 シュプランガー博士(ドイツの世界的教育学者)夫妻、視察のために来園
11~20 小学部生、九州方面(東京→福岡→久志→鹿児島→高千穂→宮崎→東京)に修学旅行
20 合唱のレコード発売
81 小原國芳学園長、世界新教育会議において「日本の新教育」について講演。同会議の会員、各国の教育家250名が視察のために来園
1123 第11回全国競演合唱祭に出場し、前年に引き続いて総合第1位
121 日比谷公会堂にて開催されたベートーヴェンの夕べ、「第九交響曲」の合唱に出演(指揮は山田耕筰)
4 茗溪会館において『児童百科大辞典』の完成祝賀会を開催
11 音楽部、ラジオ放送に出演
シュプランガー博士夫妻が来園
小学部、九州方面に修学旅行
『児童百科大辞典』の完成祝賀会
『児童百科大辞典』

関連リンク

3.1938(昭和13)年

出来事
11 小原國芳学園長、元日の拝賀式をすませ、その夜長崎へ向かう。その後、戦線の視察のために上海へ出発
12 小原國芳学園長、ハワイとアメリカ西海岸へ民間使節として出発(~6月14日)
22 「愛国行進曲」(キングレコード)の吹き込みに男声合唱が参加
323 ローゼンシュトック指揮の新交響楽団定期演奏会のマーラー「第三番交響曲」の合唱に出演
515 玉川学園と登戸間の塾対抗駅伝競走を実施
615・16 日比谷公会堂において開催されたローゼンシュトック指揮の新交響楽団定期演奏会の「第九交響曲」の合唱に出演
1026 関西地方へ音楽・体操公演旅行(~11月2日)
28・29・30 大阪朝日公会堂において開催されたローゼンシュトック指揮の新交響楽団大阪公演の「第九交響曲」の合唱に出演
1110 皇軍慰問隊6名が上海、南京、漢口などへ出発
23 第12回全国競演合唱祭に出場し、3年連続総合第1位。これを機に勇退
1211 合唱、ラジオ放送に出演
26・27 歌舞伎座において開催されたローゼンシュトック指揮の新交響楽団公演の「第九交響曲」の合唱に出演。この演奏は大成功を収め、これがきっかけとなり、日本で「第九」が12月の恒例行事として行われるようになったとも言われている
ロサンゼルス分校の生徒たちと小原國芳(3月)
山梨県双宣荘に徳富蘇峰氏を訪問した小原國芳・信夫妻(8月)
歌舞伎座での「第九交響曲」の合唱

4.1939(昭和14)年

出来事
11 1934(昭和9)年6月から刊行されていた機関誌『教育日本』と1932(昭和7)年5月から刊行されていた機関誌『女性日本』が合体して機関誌『全人』となった
29 騎兵連隊が学園に宿泊
37 玉川塾設立認可。専門部開校。専門部は中学校卒業を入学資格とし、商科、文科、工科、農科、女子高等部が設置された。修業年限は3年で、女子高等部は2年
520 日本放送協会会館のこけら落しの記念演奏で、「第九交響曲」の放送に出演
75~8 中学部生、富士裾野において全員大演習。女子も全員富士登山を敢行
95 玉川の丘で新工業教育がスタート、全国から募集に応じて集まった小学校高等科(現在の中学2年生に相当)卒業生40数名は全員が入塾し入学式が執り行われた。新工業教育は、学校教育(学:学問)と工場実習(術:技術)を数か月交代で行い、日本の工業界が必要としている学問と技術の両方を兼ね備えた人材を育成するというもので、当時としては大胆な教育計画であった
1030 新工業教育における実習がスタート。実習先として提携したのは日本火工株式会社(現在の日本冶金工業株式会社)。川崎にある日本火工川崎工場で実習が行われた
115 玉川学園創立10周年記念感謝祭を開催
124・5 歌舞伎座において開催されたローゼンシュトック指揮の新交響楽団定期演奏会の「フィデリオ」に演奏会形式で出演
新工業教育における実習を終えて
乗馬部の生徒たち
玉川学園創立10周年記念感謝祭式典
玉川学園創立10周年記念感謝祭野外パーティー

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5.1940(昭和15)年

出来事
1~9  総合学習「満州研究」を実施。学園あげての大規模な合同研究。
実施にあたっての理由は、
  1. 玉川教育のかねてからのねらいであった教科書のみによらず、自学を主として、断片的でない生きた教育を行うため
  2. すでに公表されていた国民学校案が各教科統合の方向をとり、また、玉川においてはいち早く、「国民学校研究会」(本年は6月1日~3日に開催)の名において、独自に研究・実践の発表を企図していたため
316 『児童百科大辞典』の販売宣伝のために塾生4名を台湾に派遣
44 国民学校教育座談会を開催。「国民学校研究叢書」を発刊
27 満洲日本人学校代表が来園
65・6 日比谷公会堂において開催されたローゼンシュトック指揮の新交響楽団定期演奏会の「第九交響曲」に出演
10 皇軍慰問のため、小原國芳を団長に生徒35名と引率教員で、朝鮮、満洲、蒙古へ出発。公演は、小原國芳の講演、体操・舞踊の実演、合唱という構成で行われた。その後、門司や大阪などでも公演を実施(~7月25日)
9~12  総合学習「南洋研究」を実施。学園あげての大規模な合同研究。 実施にあたっての理由は、新東亜建設の重要拠点である南洋について、あらゆる角度から研究し、南洋に対する関心を深め、南洋における皇国の使命を自覚するため
1024 東久邇宮殿下が視察のため来園
1218 中等部の「南洋研究」の発表会を開催
満洲研究
『児童百科大辞典』の販売宣伝のために台湾を訪れた4名の塾生
皇軍慰問
皇軍慰問
東久邇宮殿下が来園
東久邇宮殿下が来園

関連リンク

参考文献

  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史(写真編)』 玉川学園 1980年
  • 玉川学園編『写真集 小原國芳 信』 玉川大学出版部 1978年
  • 玉川学園編『玉川教育―玉川学園三十年―』 玉川大学出版部 1960年

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