写真で見る玉川学園の歴史② 1930(昭和5)年~1935(昭和10)年
2019.06.06
1930(昭和5)年9月に礼拝堂が完成し、翌月に献堂式を行う。また、同年及び翌年に玉川学園に大きな影響を与えた人物3名が来園。世界のスキー普及に偉大な足跡を残したハンネス・シュナイダー氏、デンマーク体操の父といわれたニルス・ブック氏、玉川学園を「第二の故郷」と慕う教育家ヴェルナー・チンメルマン博士である。

1.1930(昭和5)年
月 | 日 | 出来事 |
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3 | 15 | 招聘により来日したオーストリアスキーの第一人者であるハンネス・シュナイダー氏の歓迎会を開催 |
20~23 | 池の平において本学生徒たちがシュナイダー氏よりスキーの講習を受ける | |
4 | 9 | 玉川高等女学校設立認可 |
13 | 小学部校舎3棟の落成式を実施 シュナイダー氏が来園 |
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20 | スイスの教育家ヴェルナー・チンメルマン博士が来園。ドイツ語や音楽を指導 | |
5 | 3 | 切手、煙草小売人認可。駅前売店にて取り扱い開始 |
6 | 11 | 『玉川塾の教育』刊行 |
25 | 斎藤由理男、体操研究のためデンマークへ | |
8 | 5~23 | 小原國芳、講演のために満洲へ |
9 | 8 | 玉川学園健康院、学園長宅及びお客の間完成 |
10 | 13 | 本間俊平氏が来園。礼拝堂献堂式を主導 礼拝堂献堂式を実施 |
25 | 小原國芳の欧米への教育視察旅行の歓送会開催 | |
28 | 小原國芳夫妻が春洋丸で横浜を出港し、欧米教育視察旅行に出発(~6/3) | |
11 | 1 | 塾食堂の使用開始 |










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2.1931(昭和6)年
月 | 日 | 出来事 |
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1 | 20 | ウィネッカ・システムの創始者ウォッシュバーン博士一行が視察のため来園 |
3 | 12 | ロサンゼルス玉川学園分園の設立のため、初代分園長として伊藤孝一がロサンゼルスにむけて出発 |
4 | 1 | ロサンゼルス玉川学園分園開校 |
8 | 7 | 礼拝堂にパイプオルガンを設置 |
9 | 8 | 玉川・成城の両学園の招聘によるニルス・ブック氏一行26名が来日。全国40数か所にて講演及び実演会を開催 |
13 | ニルス・ブック氏一行が来園 体育館及びスタンドが完成 デンマーク体操学校東洋分校の設置 パイプオルガンの初演奏会開催 |
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22 | 満洲国より第1回留学生を迎える | |
12 | 20~24 | 第1回基本体操講習会を開催 |


ニルス・ブック氏一行26名が来園し、大グラウンドで歓迎デモンストレーション


パイプオルガンの組み立て
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3.1932(昭和7)年
月 | 日 | 出来事 |
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1 | 10 | 教育大学開講(現職教員研修制度) |
2 | 11 | デンマーク体操の指導のために、デンマークより体操講師ヒルデブラント氏とクローン女史の2名を招聘 |
3 | 9 | 本学の自動車が小田急線の成城地区の踏切で電車と衝突。乗っていた小原國芳他が負傷 |
4 | 8 | 女学部新校舎完成 |
9 | 書上喜太郎がニースで開催の世界新教育会議にて、玉川学園の教育について映画で発表するために門司港を出港 | |
20 | 『児童百科大辞典』全30巻の第1回配本開始 | |
5 | 1 | 月刊雑誌『女性日本』創刊 |
4 | スイスの教育家ガルマン夫妻が着任。ドイツ語、ホームスパンを指導。翌日、ガルマン先生の歓迎会を開催 | |
6 | 9~11 | 第4回労作教育研究会が開催され、西田幾太郎氏が特別講演の講演者として来園 |
7 | 29 | 塾生である平田正明を体操指導者として、香港、シンガポール、スマトラに派遣 |
8 | 2 | 小原國芳の胸像が完成(作者は藤川勇造氏) |
10 | 19 | 塾生である安井永三がドイツに留学 |
25 | 満洲国文部省教育視察団が来園 | |
11 | 19 | デンマーク公使、スイス領事、朝鮮教育使節団が来園 |
12 | 5 | 文部省督学官が来園し参観 |






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4.1933(昭和8)年
月 | 日 | 出来事 |
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4 | 2 | 玉川学園鵠沼分園開校。園長は小原國芳 |
5 | 6 | ランシング先生追悼式 |
16 | 労作教育座談会を開催 | |
6 | 20 | 小学部生が東郷元帥を訪問 |
7 | 5 | 満洲国より留学生4名と蒙古より留学生1名が入学 |
15 | 学芸会を開催。玉川学園の総合的な研究発表会 満洲国駐日公使丁士源氏が来園 |
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11 | 19 | 第7回全国競演合唱祭に出場、混声の部第1位、総合で第6位 |




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5.1934(昭和9)年
月 | 日 | 出来事 |
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2 | 11 | 小原國芳の胸像の除幕式を執り行う |
3 | 1 | 満洲国から教育視察団が来園 |
5 | 21 | 満洲国より派遣の留学生42名が入園。4月に留学生部を特設して留学生の受入れ体制を整備 |
6 | 15 | 1932(昭和7)年3月『學園日記』から『労作教育研究學園日記』に改題された玉川学園機関誌が、さらに『教育日本』と改題 |
10 | 18 | 第5回体育祭において、ロサンゼルス分校に校旗を贈呈 |
20 | 小原國芳、教育講演のために満洲国へ |




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6.1935(昭和10)年
月 | 日 | 出来事 |
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2 | 10 | 第1回玉川学園祭を軍人会館(後の九段会館)にて開催 |
5 | 29 | 相撲部の土俵開き。横綱玉錦、男女ノ川の両関をはじめ30余名の力士が来園 |
6 | 9 | 徳富蘇峰氏が第8回労作教育研究会の特別講師として来園 |
10~12 | 第1回「女性日本の会」を開催 | |
7 | 6 | インドよりシャマラ氏ほか4名が来園 |
8 | 1 | 汎太平洋新教育会議において小原國芳が「玉川塾の教育」について発表 |
6 | 汎太平洋新教育会議の出席者(外国人約130名、日本の教育者数十名)が来園し視察 | |
9 | 10 | 騎兵聯隊、竹田宮殿下が学園に宿泊 |
12 | 乗馬部が誕生 | |
12 | 3 | 混声合唱、ラジオ放送に出演 |
14 | 玉川、和光、湘南の3学園連合研究会を開催 |




関連リンク
参考文献
- 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
- 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史(写真編)』 玉川学園 1980年
- 玉川学園編『写真集 小原國芳 信』 玉川大学出版部 1978年
- 玉川学園編『玉川教育―玉川学園三十年―』 玉川大学出版部 1960年