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ニルス・ブック来園から90年

2022.02.15

1931(昭和6)年、玉川学園はデンマーク・オレロップ国民高等体操学校(現・オレロップ体操アカデミー)の創始者で、デンマーク体操(基本体操)の考案者でもあるニルス・ブックをはじめとするデンマーク体操団一行26名を日本で初めて招へい。デンマーク体操を教育の場に取り入れ、また、「オレロップ国民高等体操学校東洋分校」として協定を締結。それから90年の歳月が経過した。

1.ニルス・ブックと小原國芳

玉川学園が創立以来取り組んできたデンマーク体操は、小原國芳とニルス・ブックとの出会いによって導かれた。

ニルス・ブックは、1912(大正1)年に開催されたスウェーデンでのストックホルムオリンピックにおいてデンマーク体操団を指揮するなど、体操家として活躍。デンマーク・オレロップ国民高等体操学校(現・オレロップ体操アカデミー)の創始者で、デンマーク体操(基本体操)の考案者でもある。

一方、小原國芳は、「八大教育主張」講演で「全人教育論」を提唱した翌々年の1923(大正12)年に、校長であった澤柳政太郎の許可を得て、新宿の牛込にあった成城小学校、成城第二中学校を当時の北多摩郡砧村(現在の世田谷区成城)に移転して幼稚園を開設。さらに1926(大正15)年には旧制成城高等学校を設置して、幼稚園から高等学校までを有する成城学園へと発展させた。

小原がブックの存在を知ったのは、その前年に成城学園の体育教師になった三橋喜久雄のひと言がきっかけであった。1927(昭和2)年12月5日、「現在、世界の体育・体操家の中で一番偉いのは誰なのか?」と尋ねた小原に対し、世界の体育を調査・研究してきた三橋は即座に「それはデンマークのニルス・ブック氏です」と答え、オレロップ国民高等体操学校で行われていたデンマーク体操の魅力を熱く語った。

三橋は東京高等師範学校(現・筑波大学)の教員だった1922(大正11)年、文部省の留学生としてアメリカ、イギリス、ドイツ、フランス、スウェーデン、デンマークなど欧米を3年間歴訪。最後の留学先がデンマークで、そこで出会ったのがニルス・ブックであり、オレロップ国民高等体操学校で行われていたデンマーク体操であった。

また、三橋と同じ時期にデンマークを訪問し、デンマーク体操に着目していたのが平林廣人。ボーイスカウト日本連盟の常務理事を務めていた1924(大正13)年に社会教育、農業政策の研究のためデンマークに留学。その留学中、ヴァレキルの国民高等学校の同級生だったのがニルス・ブック。ブックは、1920(大正9)年にオレロップの地にオレロップ国民高等体操学校を創設して、実際に基本体操を指導していた。ヴァレキルの国民高等学校の教職課程をブックと共に修了した平林は、オレロップ国民高等体操学校の参観を願い出、実際にブックの指導を受ける。さらにデンマークの農業政策事情などと併せてデンマーク体操の実際を35ミリの映画に収め、1925(大正14)年の年末に帰国。

帰国した平林は、35ミリの映画を持参して全国を講演して回る。秋田市でのデンマークについての平林の講演を聞いた秋田師範学校体育教師の斉藤由理男は、デンマーク体操を学びたい一心で、小原と三橋を頼って成城学園の体育教師に就任。1929(昭和4)年に玉川学園が設立されると玉川学園の体育教師になり、小原の指示で同年6月、ニルス・ブックのもとへデンマーク体操を学びに留学する。こうした様々な人々の出会いと強い思いが、デンマーク体操を玉川学園に、ひいては日本全体に根付かせたのではないだろうか。

2.デンマーク体操

デンマーク体操とは、青少年の体の基礎的改造、矯正、発育促進を目的として考案された民衆体操のこと。人間の呼吸に合わせたリズミカルな動きを取り入れた躍動感あふれる体操で、筋力の強化だけでなく柔軟性や巧緻性(機敏性)も向上させるのが特徴。かねがね、「体操とは、それを行う人も見る人も感動するような芸術性がなくてはいけない」と感じていた三橋は、デンマークに留学していた当時、デンマーク体操を目の当たりにし、そこに自身が探究していた真の体育像を見い出した。

三橋の話を聞いた小原は、ブックの体操を教育に取り入れるべきだと直感する。それまでも、日本の教育現場で体操は行われていたものの「一、二、三、四」の号令のもと、規律正しく行うスウェーデン体操が中心だった。小原はこのスウェーデン体操に対し、堅苦しさを覚え、物足りなさを感じていた。事実、スウェーデン体操は、19世紀初めにスウェーデンのP・H・リングが考えた医療をもとにした生理学や解剖学に立脚した理詰めで型苦しさを伴うものであった。

しかし、折しもその頃、玉川学園の創立期と重なっていたため、小原はすぐに行動することができなかった。それから4年後の1931(昭和6)年に、満を持して、妻の信とともに欧州教育行脚を敢行。その際に、留学中の斉藤の案内のもと、オレロップ国民高等体操学校を訪問して、自身もデンマーク体操を体験。後年、小原はそのときの様子を次のように語っている。

2週間もつぶさに。全く、驚嘆しました。『これだ!』と心臓に脳裏に強く刻み付けました。生理的で、科学的で、しかも芸術的で、リズミカルで、更に、鍛練的で、巧緻的で、調和的で!

小原國芳夫妻のデンマーク訪問

常々、「日本の青年には、よい頭(Head)、よい手腕(Hand)、美しい心情(Heart)に加え、よい健康(Health)が必要である」と語ってきた小原は、デンマーク体操は理想を具現化させるために不可欠な要素であると直感し、ブックに体操団を引率して、日本に来てくれるように懇願する。

3.ニルス・ブック体操団の招へい

ブックの来日に対して、スウェーデン体操を推進する文部省は快く思っていなかった。すでに2年前にスウェーデン体操をもとに「学校体操要目」を作成していたため、必要を感じなかったのだ。しかし、小原はブック招へいをあきらめず、「学校体操」として受け入れられないのであれば、「社会体操」として推進すると決意を新たにした。

ブック側からも「日本にも私の体操研究所がほしい」という申し出があったため、小原は創立まもない玉川学園に、さっそく体育館とグラウンドを竣工。オレロップ国民高等体操学校の兄弟学校にふさわしい施設を整備した。この熱意がブックを動かし、1931(昭和6)年9月7日、ニルス・ブック体操団の一行26名(団長以下体操手男子13名、女子12名)が来日。来園時に、玉川学園は「オレロップ国民高等体操学校東洋分校」として認定された。

デンマーク体操団一行が来園
ニルス・ブックと小原國芳夫妻
来園したデンマーク体操団一行

実は、小原が最初に招へいを依頼した時は、体操手6名であった。それが具体的に来日が決まった時点では一行11名に、さらに一行17名へと変更。しかもその旅費や諸経費はこちらで負担することとなっていた。なんと最終的に来日したのは26名。しかし、旅費の不足分はデンマーク側で負担してくれることとなった。

来日した一行は下関に到着した後、翌9月8日に東京へやって来た。9月13日には、玉川学園で実演が行われた。この日はグラウンドと体育館開き、礼拝堂のパイプオルガン弾き初めなど体育大会や音楽会といった多彩な行事が開催されていた。なお、公演に際しては、映画の撮影も行われた。

来園したデンマーク体操団一行

デンマーク体操団一行の来園時のことが、『ZENJIN』第639号の「故(ふる)きを温(たず)ねて」に次のように記載されている。

この一行は夜になると民族衣装に身を改め、フォークダンスや合唱を披露し、当時の玉川っ子に大きな刺激を与えた。堂々とした身体で、体操ができ、歌も歌える姿に、彼らは全人教育の理想とする調和的人格を重ねたに相違ない。その後、玉川では基本体操普及を中心にして、合唱や劇を交えての公演旅行を行うことになる。
小原國芳は言う。「デンマークの青年が体操を通してどのように人間をつくっていくのか、そこを学んでいただきたかったのです」(『教育とわが生涯』)

また、『全人』第686号の「故(ふる)きを温(たず)ねて」には次のような記述がある。

この日に合わせて大グラウンドに、当時としては大変立派な観客用スタンドが完成した。ブック氏一行はスタンドの観客の見守る中、本場デンマーク体操の神髄を披露。この後、全国四十数か所で講演や実演会を行い、陸海航空隊・鉄道・ラジオ体操などのわが国の体育に大きな影響を与えた。

大グラウントにてデンマーク体操団の演技 1931(昭和6)年

デンマーク体操団一行の来日は、新聞等でも取り上げられ話題となった。例えば、1931年(昭和6年)9月8日付の東京朝日新聞朝刊は、「デンマークから體操王一行 けさ元氣で下關着、東上 近く全國を實演巡回」との見出しで、次のような記事を掲載している。記事には、デンマーク体操を日本の人々に伝えたいというブックの熱い思いが溢れていた。

あこがれの日本で今度私の創作した獨特のデンマーク體操をお目にかける機會を與へられたことをちう心から感謝する、この體操は體格の根本的改善その他を目標とし從來の形式的で單調なスエーデン體操を複雜化しリズム化して肉體を柔軟可動的ならしめ、かつ多數の人々が愉快にこれをやれるやうに大改革を加へたものである、随って體操の創始者リング氏の精神をそのまゝの私が受繼いで居るといつてよい 五週余の日本滞在中に是非ともこの精神と技術とを貴國の青少年諸君にお傳へしたい 私はこの體操が將來貴國々民の訓練に適し喜んでこれを實行されるに違ひないと信ずる

4.デンマーク体操の普及

もともとは玉川学園の児童・生徒の健康教育のために招へいされた体操団であったが、ブックは全国の青少年の健康促進を目的として、以下の表のとおり日本全国において実演と講演を行った。

【ニルス・ブック来日記録】1931(昭和6)年

場所実演・講演等
85 デンマーク出発
 
91奉天 実演、講演
2 実演(満鉄国際グラウンド)、デンマークの夕(奉天高等女学校)
3 実演・講習会(奉天高等女学校)
4京城  
5 実演(京城グラウンド)、デンマークの夕(京城師範学校)
6 釜山から下関へ
7下関  
8東京 皇居、歓迎会
9  
10  
11 文部大臣・東京市長等の招待会、映画撮影、見学等
12 実演・講演(日比谷公会堂)
13 玉川学園/歓迎音楽会、体育館開きの体育大会
14 成城学園/三橋研究所合同練習  デンマーク公使館での招待会
15 自由学園   午後:福島へ
16福島 実演・講演
17  
18秋田 実演、デンマークの夕
19富山  
20 実演(富山師範)、デンマークの夕(新富座)
21金沢 デンマークの夕
22 実演2回
23神戸 デンマークの夕
24 実演
25 参観、実習
26大阪 実演、デンマークの夕
27 実習   午後:市内見学
28京都 実演(京都一中大講堂)
29 京都・奈良 見学
30大分 実演
101福岡 デンマークの夕
2 実演、実習
3岡山 実演、デンマークの夕
4米子 デンマークの夕
5 実演
6京都 市内・京都女子師範附小学校見学
7名古屋 実演、デンマークの夕(公会堂)
8 実演
9静岡 実演、デンマークの夕
10東京 お別れ会(日比谷新音楽堂)大雨で中止
11 体操学校訪問
12 実演(女子高等師範)、実演(保険協会)
本部主催デンマークの夕
13 原邦造氏招待   日本式庭園見学
横浜 実演、デンマークの夕
14東京 東京文理科大学・府立四中見学、実演(連合婦人会)
15 帝大見学、実演(首相官邸)
16 見学や買い物   体操研究会主催の送別会
17横浜 日本郵船氷川丸でカナダヘ
カナダ・アメリカ公演
1217 帰国歓迎会

日本全国における実演と講演の結果、デンマーク体操を独自に取り入れた「海軍体操」が全海軍に普及。海軍のほかにも、航空隊や商船学校、鉄道省が積極的にデンマーク体操を取り入れ、「航空体操」「国鉄体操」が作られた。さらに、1932(昭和7)年には全日本体操連盟によって創案された「ラジオ体操」(第二体操)にも、デンマーク体操の原型が取り入れられた。デンマーク体操はこうして、さまざまに形を変えながら普及。全国津々浦々、日本国民の健康づくりに貢献してきたといえるであろう。

このようにデンマーク体操は日本中に拡がって行った。学校教育においても同様であった。橋本道著『基本体操』の中で、小原國芳が次のように述べている。

ニルス・ブックのデンマーク体操は、来日以来、日本の学校体育の内容を一変させるほどの影響をもたらしています。文部省の学習指導要領も昭和9年には、体操をほとんどデンマーク式に改革したし、今度の改訂でも、体操が大きな役割を果たすようになりました。スポーツ一辺倒だった今までの指導から、体の健康を第一義とする体操に変ってきたことは、私たちの努力がやっと認められたと喜んでおります。(昭和45年1月)

5.オレロップ国民高等体操学校東洋分校としての活動

その後も、本学は「東洋分校」として、デンマーク体操の講習会を頻繁に行い、体育教員をデンマークに派遣、体操の研究・普及に尽力した。これらの教員の指導の下で、毎年の本学の体育祭では、「徒手体操」や「転回運動」、さらに「こん棒体操」「旗体操」「ボール体操」「リング体操」を中心に、デンマーク体操の発表が行われている。また日常的には、球技や水泳などのウォーミングアップの中にデンマーク体操が取り入れられている。


デンマーク大使来園時 1954(昭和29)年5月4日

また、オレロップ体操アカデミーでは、体操を修得した者に対し、OD章(体操学校のある地名Ollerupの頭文字と、デンマーク語で「社会に奉仕する人」の意味でDelingsfrereの頭文字Dをとったもの)を授与しているが、オレロップは本学に対し、OD章の授与権も認めている。なお、東洋分校として本学が授与するOD章には、OとDのアルファベッドの間に東洋分校の所在する玉川学園の頭文字Tが入れられた「OTD章」が用いられている。

6.ニルス・ブック氏七十歳誕生記念祭

1950(昭和25)年6月18日に、「ニルス・ブック七十歳誕生記念祭」を玉川学園で開催。記念祝賀会、記念芸能発表会、デンマーク研究展、デンマーク文化講演会など、玉川学園挙げての行事となった。祝賀会は、多くの在東京デンマーク人の人たちも参列し、盛大に催された。小学部・中学部・高等部・大学と全学的にデンマークに関する特別学習も実施。小学部生も約1か月に渡って総合学習としてデンマーク研究に取り組み、発表を行った。

全学挙げてのデンマーク研究

7.オレロップ国民高等体操学校創立50周年祭に参加

1970(昭和45)年7月10日、玉川学園体育海外研修団32名は、オレロップ国民高等体操学校創立50周年式典に参加のためデンマークへ出発。研修団は7月18日・19日の式典に参加し、8月9日に帰国した。

8.オレロップ体操チームの再びの招へい

青少年の心身の健全なる発達を願って、1975(昭和50)年10月3日より31日までの約1か月間にわたり、デンマーク体操チームを日本に再び招へい。招へいしたのは、デンマーク・オレロップ体操チーム招聘委員会で、会長は当時玉川学園総長であった小原國芳、委員長は当時玉川大学学長であった小原哲郎、実行委員会委員長は当時玉川大学教授だった橋本道であった。デンマーク体操チーム一行は、羽田に到着後、午後に三木武夫首相を表敬訪問、翌日はNHKテレビ「スタジオ102」に出演。基本体操の実演、団長であるアーネ M.モンテンセン校長と会長である小原國芳の話が12分にわたって放映された。午後には三越日本橋本店野外音楽劇場屋上にて一般公演と講習会を開催。どちらも約300名が参加。夕刻よりホテルニューオータニにて、文部大臣主催の歓迎レセプションに出席。

三木武夫首相を表敬訪問

オレロップ体操チームは、10月12日には本学体育祭に参加。さらに本学の児童、生徒、大学生たち対象にワークショップを開催。公演や講習会は、学習院、日本体育大学、東京農業大学、東海大学、国立競技場第2体育館でも行われた。その間、フジテレビ「小川宏ショー」に出演したり、デンマーク大使公邸での大使歓迎レセプションに参加したりした。「小川宏ショー」では、リズム体操・手具体操・基本体操などの実演をはじめ、モンテンセン団長と小原哲郎委員長の説明が15分間にわたって全国27局をネットに放映された。さらに東京を離れ、京都、大阪、福岡、熊本、鹿児島、名古屋などでも公演や講習会を開催。10月29日には、モンテンセン校長に対して、勲三等瑞宝章が永井道雄文部大臣から授与された。デンマーク体操チーム一行はその夜、ホテルニォーオータニで開催された招聘委員会会長主催の歓送レセプションに出席。そして、31日に羽田より日本を後にした。

9.ニルス・ブック像

ニルス・ブックの像は、2009(平成21)年まで等身大のものが大体育館ロビーに設置されていた。これは1975(昭和50)年にオレロップより体操チームを招へいするにあたり、彫刻家の松田芳雄氏が制作したもの。そして、2011(平成23)年、オレロップ国民高等体操学校「東洋分校」80周年を記念して、本学記念体育館前に新しいブロンズ製の「ニルス・ブック像」を建立した。台座には小原國芳による題字が用いられている。12月12日には、「ニルス・ブック像除幕式」が挙行された。

小原邸お客の間でのニルス・ブック一行 1931(昭和6)年

関連サイト

参考文献

  • 小原國芳監修『學園日記』 玉川學園出版部
        第22号、第25号、第26号、第27号、第28号(1931年)
  • 小原國芳「私の体操史」(橋本道著『基本体操』玉川大学出版部 1970年 に所収)
  • 小原國芳「基本体操によせて」(橋本道著『基本体操』玉川大学出版部 1970年 に所収)
  • 小原國芳「全人教育の土台としての体育」(臼井和夫著『児童のための体育』玉川大学出版部 1972年 に所収)
  • 小原信「夢の國デンマーク」(小原國芳監修『全人』第16号 玉川大学出版部 1950年 に所収)
  • 三橋文子「玉川学園とデンマーク体操」(小原芳明監修『全人』第627号 玉川大学出版部 2002年 に所収)
  • 石橋哲成「小原國芳の健康教育とデンマーク体操 -ニルス・ブック一行の招聘から80年目にあたりて-」(『玉川学園・玉川大学 体育・スポーツ科学研究紀要第12号』 玉川大学学術研究所 2012年 に所収)
  • 『デンマーク・オレロップ国民高等体操学校東洋分校 設立80周年記念 ニルス・ブック像 除幕式』パンフレット 2011年
  • 『玉川學園概況』1992年
  • 『デンマーク・オレロップ体操チーム招聘報告書』 デンマーク・オレロップ体操チーム招聘委員会 1976年
  • 小原國芳監修『全人』第16号 玉川大学出版部 1950年
  • 小原國芳監修『全人教育』 玉川大学出版部
        第253号、第255号(1970年)、第316号(1975年)
  • 小原芳明監修『全人』第759号 玉川大学出版部 2012年
  • 「ニルス・ブック氏からのお便り」(小原國芳監修『全人』第9号 玉川大学出版部 1949年 に所収)
  • 白柳弘幸「故きを温ねて」(『ZENJIN』第639号 玉川大学出版部 2001年 に所収)
  • 白柳弘幸「故きを温ねて」(『全人』第686号 玉川大学出版部 2005年 に所収)
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年
  • 外園一人監修『デンマーク体操―みんなのために―』 株式会社タイムス 1982年
  • 南日本新聞社編『教育とわが生涯 小原國芳』 玉川大学出版部 1977年
  • 平林廣人「『全人』を通じて遥かに ニルス・ブック先生の古稀を壽ぐ」(『全人』第19巻題10號 玉川大學出版部 1949年 に所収)

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