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玉川豆知識 No.111

玉川学園で一番高い所は、聖山、それとも経塚山(三角点)?

聖山と三角点、この二つの山にのぼれば、武蔵野丘陵の東西南北を俯瞰することができる。東に首都を望み、南は相模湾に通じ、西北には丹沢、秩父の山々が見わたせる。僕は長年この地に住んでいるが、いつ見ても飽かない景色だ。(玉川大学出版部発行の機関誌『全人教育』第293号の加藤博著「玉川余話(1)」より)

1.聖山

聖山礼拝

豊かな木々の中を礼拝堂に向かって階段をのぼって行き、さらにその礼拝堂を通り過ぎると聖山にたどり着きます。聖山は、1929(昭和4)の玉川学園開校以前には、丹沢の尾根の間に富士山を望めたことから「富士塚」とも呼ばれていました。開校後、この丘は「聖山」と命名。玉川学園の校歌を作曲した岡本敏明も、聖山を歩きながら、そのメロディーが浮かんだと記しています。当時の聖山は、木々が密集した狭い空間でした。その聖山が、学生や生徒たちの労作によって一変します。彼らは、倒木の心配のある古木を伐り、草を刈り、芝生を植えて、静かに祈ることができる環境を整備。その結果、遥か丹沢の山々を一望することができ、また塾生たちの早朝礼拝や、大学の演劇部の学生たちによる『真夏の夜の夢』(シェイクスピア作)などの聖山公演が行われ、そして思索にふけることができる憩いの場所になりました。

聖山公演

やがて木々が生長し、かつてのような眺望は失われました。なんとか、以前のような児童、生徒、学生が集う憩いの場所にしたいという声が高まり、玉川学園創立100周年に向けた事業として、「みんなの夢をみんなの手で」を合言葉にして聖山整備を行うことになりました。その第一弾として、2019(令和元)年の5月、6月に生徒、学生、卒業生、教職員が一緒になって古木の伐採などの整備労作に取り組みました。

聖山については、『全人』第757号の「玉川の丘めぐり⑱」に次のような記述があります。

聖山という地名については「・・・・高さ三百五十尺の山――吾々仲間では『聖山』と名づけました」と小原國芳が『学園日記』創刊号(1929年6月)で述べている。聖山の命名は創立期の同人たちであった。
聖山の呼称の初出は「・・・・毎朝の行事は、五時に起床、聖山に登つて朝の祈禱と讃美歌を歌ひ・・・・」と、同年四月の記事として『イデア』誌(七四号)に載る。記事を書いたのはおば様こと、國芳の夫人・信(のぶ)。聖山は創立時より祈りの場であった。
一九三〇年一〇月、待望の礼拝堂が完成。翌年八月にパイプオルガンが設置され、祈りの場は急速に整えられた。

2.経塚山(三角点)

幼稚部園舎と低学年校舎をつなぐ小高い丘は、古くから「経塚山」と呼ばれていました。名前の由来は、昔仏の教えを守るため、経典を大切に保存しようと地中に埋めた場所である「経塚」からきています。また、測量用の二等三角点が設置されていることから、「三角点」とも呼ばれています。

『全人』第768号に「地球の三分の一が見えるぞ『経塚山』」というタイトルの記事が掲載されています。その中に、次のような記述があります。

「経塚山」の名が初めて本学で使われたのは創立の一九二九年六月。機関誌『學園日記』第一号に「經塚山と呼びならはされ、よく村の小學生などが辨當持ではるばる遠足に來た」と載る。
経塚山と呼ばれたのは、ここからお経の文字が書かれた小石が多数出土したと 言い伝えられているからだ。しかし、戦後、山頂部で給水施設工事が行われたが何も出てこなかった。
一九二一年の大日本帝国陸地測量部測図の地図に「境塚」と地名が載る。この地が古くから行政区画の境であったためだ。

シュナイダー像

玉川学園創立者小原國芳は、経塚山の見晴らしのよさを「この丘に立つと学園はおろか世界の3分の1が見える」と表現していたと言われています。このことは『玉川学園五十年史』(75ページのコラム)にも記載があります。経塚山は見晴らしの良さに加え、緑の木々がやすらかな空間をつくり、ピクニックや散策のコースにも利用されていました。またバーベキューなども行われ、中学部生が労作でつくった茶室もありました。今は、葉っぱ滑りをしたり、遊具を使用したり、子供たちの活動の場として活用されています。経塚山の頂上には“アルペンスキーの父”として知られるハンネス・シュナイダーの像が立っています。

遊具

3.学内で標高が一番高いのは?

聖山と経塚山の高さについては、『全人』第757号の「玉川の丘めぐり⑱」に次のように記るされています。

学園史料室にある明治14年測量の古地図では、聖山の標高は107.19メートル。わが国の近代測量開始時、聖山は測量標の三角点になっていたようだ。平成20年6月の国土地理院発行の地図によれば、聖山は106メートル。三角点のある経塚山は103.5メートル。学内で一番標高が高いのは聖山なのである。

関連リンク

参考文献

  • 白栁弘幸「創立以来の祈り場「聖山」」(『全人』第757号「玉川の丘めぐり(18)」 玉川大学出版部 2012年 に所収)
  • 白栁弘幸「地球の三分の一が見えるぞ「経塚山」」(『全人』第768号「玉川の丘めぐり(29)」 玉川大学出版部 2013年 に所収)
  • 加藤博「玉川余話(1)」(『全人教育』第293号 玉川大学出版部 1974年 に所収)
  • 『玉川学園の教育活動 玉川大学の教育活動(2008~2009)』 玉川学園 2008年

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