玉川豆知識 No.94

玉川学園に来園したお客様 ②1935(昭和10)年~1957(昭和32)年

本多光太郎博士

磁性物理学の世界的権威であり、東北帝国大学総長の本多光太郎博士は小原國芳の要請で興亜工業大学(現在の千葉工業大学)の設立に参画されました。1935(昭和10)年7月11日に来園され、中学3年生以上の生徒を対象に、鉄鋼など日本の工業技術の話を中心に講演されました。また講演の後には教員や生徒を交えての座談会も行われ、有意義な時間となりました。

東久邇宮殿下

終戦後内閣総理大臣に就任した日本憲政史上唯一の皇族内閣を組閣した東久邇宮(ひがしくにのみや)殿下。1939(昭和14)年、学外工場実習での玉川学園専門部生徒の真面目な作業態度が、工場視察されていた殿下のお目にとまり、玉川学園に興味を持たれた殿下は、1940(昭和15)年10月24日に来園されました。教育研究所出版部印刷部、工芸館等の他に、三角点での風景、小学部中学部の生徒たちの授業風景や女子塾の労作の様子、大学授業の講義、体育館での棍棒体操・玉川体操などをご覧になり、小原園長の「教育論」にも熱心に耳をかたむけられました。また殿下のご息女は農学部で、お孫さんは高等部 農学部で学ばれました。

高松宮殿下御夫妻

小原國芳訳「ガンジンスキーの芸術論」など玉川の出版物を殿下に献上、また殿下が玉川体操に興味をお持ちであったことから、1949(昭和24)年7月9日、玉川教育の視察のため来園されました。図書館、印刷部、工芸館等の施設見学のほか、小学部生の授業風景や労作の様子、三角点からの眺望、農学部・文学部の研究室、体育館での玉川体操をご覧になり、最後に礼拝堂で音楽・舞踊・劇「ピノチオ」を楽しまれました。

デンマーク公使チルリット氏

玉川学園が創立以来取り組んできた「デンマーク体操」は、小原國芳とニルス・ブック氏との出会いによって導かれました。デンマーク公使のチルリット氏は1950(昭和25)年6月18日、玉川学園で開催された「ニルス・ブック70歳誕生記念祭」参加のために来園、講演されました。またこの日小学1年生から大学生までの生徒たちで取り組んだ「デンマーク研究発表会」が同時開催され、その成果もご覧になられました。

ケラボリー女史(フィンランド)

ケラブリー女史は日本語を習得したのち、日本のお伽話を翻訳したり、和歌や俳句を研究して翻訳したりした親日家で、1953(昭和28)年10月7日、日芬(にちふん)協会の招待で来日されたのを機に玉川学園を見学したいと来園されました。この日は塾生主催の「ケラボリー夫人歓迎会」に参加され、翌朝は大学・高等部の礼拝でお話をされました。またその2年後、小原國芳の第3回世界教育行脚(世界の教育研究)で訪れたフィンランドで2人は再会を果たしました。

秩父宮妃殿下

岡田陽元中学部長の父上(岡田資中将)が殿下の侍従武官をされていた関係や高松宮殿下より話をお聞ききになられ玉川学園に興味を持たれた秩父宮殿下は、何度か来園を計画されましたが、残念ながらご病気のために実現しませんでした。しかしその後、殿下の意志をつがれた秩父宮妃殿下が、1955(昭和30)年4月3日に開催された「アンデルセン生誕150年記念祭」への参加および視察のために来園されました。この日妃殿下は、小学部・中学部を授業参観され、礼拝堂で行われた記念祭のアンデルセンに関する劇や音楽を鑑賞され、最後は舞台の上から温かいお言葉を述べられました。

ジョン・デューイ夫人(アメリカ)

ジョン・デューイ氏は新教育に多大な影響を与えたアメリカの哲学者であり教育者でした。日本におけるデューイ研究の第一人者である永野芳夫玉川大学元教授の働きにより、デューイ氏の死から3年後の1955(昭和30)年4月30日に、その妻であるデューイ夫人が日本教育学会の招待で来日され、玉川学園にもお越しになりました。その際に夫人は小学部生の授業風景を熱心にご覧になられた後、礼拝堂において講演されました。

インド大使B・R・セン氏

仏教哲学専門の稲津紀三玉川大学元教授らの縁により、サンスクリット文化協会の本部が玉川学園に置かれることになり、玉川学園礼拝堂において1955(昭和30)年10月21日「サンクスリット文化協会発会式」が行われ、インド大使であるB・R・セン氏が挨拶、講演をされました。

ダルマ・ワーラー大僧正(ビルマ)

1956(昭和31)年2月9日、カンボジア王室顧問であるダルマ・ワーラー大僧正は1か月の日本滞在中に玉川学園のことをお知りになり、来園されました。礼拝堂に集まった生徒たちはカンボジア国歌で大僧正を歓迎し、「日本の兄弟国カンボジア」の題名で大僧正の講演を拝聴しました。その後、幼稚部から大学までの授業や労作などを参観された大僧正からは「今後も交流を深めたい」とのお言葉をいただきました。

ブラジル大使ゴンサルベス氏

1955(昭和30)年2月小原國芳は、ブラジル視察訪問の報告をゴンサルベス大使に行いました。これを機に大使は玉川教育の実際を視察したいと希望され、1956(昭和31)年4月11日に来園が実現しました。この日は大使を礼拝堂のステージ上にお迎えし、全学生によるブラジル国歌と君が代の斉唱で歓迎の意を表しました。その後、玉川学園の施設や授業風景をご覧になった大使は、デンマーク体操や舞踊の紹介の際「ワンダフル!」「ラブリー!」を連発され、大変お喜びのご様子でした。

松永東(とう)文部大臣

第76代文部大臣。1957(昭和32)年8月28日、通信教育部スクーリング視察のため来園されました。スクーリングの最終日にお越しになった大臣は、礼拝堂での通信教育部生の合唱練習や、図書館でのリポート作成および卒業研究の様子などをご覧になられた後、小学部や大学の授業を見学され、スクーリング閉講式の挨拶では「熱心に学習している姿を見て、深い感銘を受けた」と感想を述べられました。

参考文献

  • 小原國芳監修『全人』
    第5號(1949年)、第15號(1950年)、第52号(1853年)、
    第68・69・76号(1955年)、第78・80号(1956年)、
    第97号(1957年)
  • 『玉川教育-1963年版-』玉川大学出版部 1963年
  • 玉川学園五十年史編纂委員会編『玉川学園五十年史』 玉川学園 1980年