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沿革と由来・組織

コスモス祭の沿革と由来

収穫祭の始まり

1947(昭和22)年4月玉川大学は開校しました。創設時は、文学部教育学科、英米文学科、農学部農学科の2学部3学科からのスタートでした。
行事を重要視した創立者、小原國芳のもと、入学式や卒業式をはじめ、体育祭や音楽祭等が開催され、また大学の行事として、教育学科では「ぺスタロッチー祭」が、農学部では「収穫祭」が開催され、特に農学部収穫祭は現在に引き継がれています。

「コスモス祭」の名称の登場

昭和30年代の後半になると、工学部が新設され、大学生の数も増えました。それにともない課外活動も活発になり、課外活動の発表の場として「文化祭」が開かれるようになりました。「いずれ、この文化祭は大きくなって、全学的な祭典になっていくであろう、否そうすべきなのではないか」と考えた当時の学生実行委員たちは、学長以下先生方の賛同も得て、「コスモス祭」という名称を使い始めたのは昭和40年代の初頭でした。コスモスとは、ギリシャ語で「整美」や「秩序」、「調和」という意味があります。以後1996(平成8)年まで課外活動の発表の場としてのコスモス祭は31回を数えました。

「玉川の秋」の名称の登場

毎年秋になると玉川の丘では、11月上旬には「コスモス祭」が、下旬には、農学部の「収穫祭」が恒例の大学行事として開催されていました。その間、「コスモス祭」では課外活動の発表だけではなく、徐々に、学部の紹介展示、あるいは「学術研究所」「国際教育室」(現 国際教育センター)といった高等教育附属機関の展示もなされるようになりました。
こうした流れを受けて、1997(平成9)年、大学における秋の行事を一本化しようではないかということになり、「玉川の秋」の名称のもと、長い歴史を有する「収穫祭」と「コスモス祭」に、学部学科展が加わって、一つの行事としてまとまりました。

統一名称としての「コスモス祭」の誕生

「玉川の秋」の名称のもと、2年にわたって、大学あげての祭典が開催されましたが、世間では、同じキャンパスに幼稚園から大学までを有しているが故に、玉川学園全体の祭典と誤解している人も多いことがわかりました。そこで、さらに検討が加えられた結果、1999(平成11)年に、玉川大学の秋の大学祭は、「コスモス祭」(コスモス祭’99)という統一名称のもと、文学部学科展・農学部収穫祭・工学部テクノフェスタ・女子短期大学展・課外活動展が同時開催ということになり、更に学部新設などから、現在では課外活動展、文学部展、農学部収穫祭、工学部テクノフェスタ、経営学部展、教育学部展、芸術学部展、リベラルアーツ学部展と観光学部展に継続学習センターや教育博物館、学術研究所などのほか、父母会や玉川大学・玉川学園学友会も加わり、創世期の先輩方が夢見た全学的な祭典に発展しました。

組織

コスモス祭2019組織図

大学部長会 学生センター-コスモス祭実務担当者会-教学部(大学父母会/学生環境保全委員会) 学術研究所 脳科学研究所 量子情報科学研究所 教育博物館 継続学習センター ELFセンター 入試広報部 玉川大学・玉川学園学友会 総務部 教師教育リサーチセンター 購買部 委員長会議(コスモス祭本部実行委員会(コスモス祭本部実行委員長-備品セクション-企画セクション-会場セクション-広報セクション-模擬店セクション)-文学部展-農学部展(収穫祭)-工学部展(テクノフェスタ)-経営学部展-教育学部展-芸術学部展-リベラルアーツ学部展-観光学部展-課外活動展)

コスモス祭本部実行委員会

コスモス祭は、本学の大学祭で、課外活動展と各学部展で構成されています。その中で、発表や展示、模擬店の出店のサポートをしたり、大学祭を盛り上げるためのイベントの企画・運営、パンフレットの制作、それに各学部展との調整など、コスモス祭全体をプロデュースするのがコスモス祭本部実行委員会です。
本学の学生なら誰でも委員になれます。大学祭を企画、運営したいと思っている学生は学生支援センターに相談してください。

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