玉川学園の歴史

夢の学園を目指して始まった玉川の歴史も、95余年という年月を重ねました。
常に、その時代の変化と共に発展し、今では幼稚部から大学院まで約1万人が集う総合学園になりました。
ここでは、1929年の創立当時から現在までの足跡や、キャンパスに残された歴史ある場所・品々にスポットをあて、夢の実現のために込められた想いを振り返っていきます。
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1988(昭和63)年の玉川
新松陰橋が完成し、渡り初め式を挙行。三笠宮寛仁殿下ご一家をお迎えして中学部合唱祭を開催。本学で開発した黄色いコスモスの満開をテレビや新聞が報道。
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全人教育100年
「全人教育」は、1921(大正10)年に行われた八大教育主張講演会で、小原國芳が初めて提唱した教育理念である。提唱から2021年で100年。國芳は、「教育の内容には人間文化の全部を盛らねばなりませぬ。故に、教育は絶対に全人教育でなければなりませぬ。全人教育とは完全人格即ち調和ある人格の意味です」と語っている。「全人教育」という言葉は現在では一般名詞として広く使用され、その理念は教育界に大きな影響を与え続けている。
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1987(昭和62)年の玉川
教育博物館開館。農学部が育種栽培に成功した黄色いコスモスの種が「イエローガーデン」として品種登録、テレビや新聞で報道され話題に。浩宮皇太子殿下をお招きして、本学恒例の「第九演奏会」をサントリーホールで開催。
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1986(昭和61)年の玉川
文学部芸術学科演劇専攻生による「ベッカンコおに」のカナダ・アメリカ公演を、バンクーバーで行われている交通博EXPO’86をはじめ7都市10会場で開催。日本在住の世界各国の子供たちが集ってのエンゼルサミット(歌で平和を)という名称の音楽会に小学部6年生の児童全員が参加。玉川大学名誉教授であるボルノー博士が来園して特別講演会を開催。
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1985(昭和60)年の玉川
第33回全国吹奏楽コンクールにおいて、玉川学園中学部ブラスバンド部が金賞を受賞。工学部電子計算機演習室開設。この年も多数の外国からの来園者があり、本学の教育を視察。『全人教育の手がかり』を玉川大学出版部より刊行。
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1984(昭和59)年の玉川
玉川学園高等部吹奏楽部がウィーン青少年音楽祭に日本代表として参加し、総合優勝のウィーン大賞などの賞を受賞。記念体育館南側に新洋弓場、北海道の玉川大学弟子屈牧場に牛舎が完成。中学部のカナダ夏季語学研修旅行がスタート。
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1983(昭和58)年の玉川
中学部新校舎および記念グラウンド、記念体育館が完成。記念グラウンドと記念体育館は、玉川学園創立50周年記念事業として建設された総合体育施設。大グラウンドで行われていた体育祭を、記念グラウンドに移して開催。
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写真で見る玉川学園④「鍛錬旅行」
中学部が3年生を対象に毎年7月下旬に行っていた鍛錬旅行。それは、岩手、秋田、青森にまたがる山々を、重さ10キロ以上の荷物を背負い、山登りに挑戦するものであった。東北で鍛錬旅行を実施する以前は、尾瀬山岳鍛錬旅行が行われていた。
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1982(昭和57)年の玉川
玉川大学管弦楽団がオーストリアで開催された「ヤーパン・ターゲ」、「ザルツブルグ音楽祭」、「ハイドン・フェスティバル」に出演するとともに、学生代表がオーストリア大統領を訪問。高等部女子テニス部が全国高校総合体育大会(インターハイ)で団体3連覇。高等部の女子生徒2名がブラジルで開催されたバナナボール国際ジュニア・テニス大会のダブルスで優勝。世界のホームラン王こと王貞治氏が来園。
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屋内温水プール
屋内温水プールの完成当時、日本に50mの屋内プールは、千駄ヶ谷の東京体育館と代々木のオリンピックプールがある程度。しかも玉川学園のプールは温水。日本水泳連盟の公認プールとして認められ、鈴木大地氏やジャネット・エバンス氏など金メダリストも視察や練習のために来園。水泳世界選手権の最終選考会場としても使用された。
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1981(昭和56)年の玉川
玉川学園創立50周年記念玉川学園美術展を新宿小田急百貨店で開催。カナダのマラスピナ大学より寄贈されたトーテムポールの献納式をマラスビナ大学長などの参列のもとに実施。高等部女子テニス部が「全国高校総合体育大会」(インターハイ)で団体2連覇。玉川大学演劇舞踊団が「ロンドン国際演劇祭」(英国)と「エジンバラ国際フェスティバル・フリンジ」(スコットランド)に参加。
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1980(昭和55)年の玉川
玉川学園創立50周年を記念して、日本武道館での記念式典をはじめ、さまざまな記念行事を開催し、『玉川学園五十年史』や『小原國芳選集』などの書籍を刊行、記録映画『玉川学園五十年』を完成。高等部女子テニス部が「全国選抜高校庭球大会」および「全国高等学校総合体育大会(インターハイ)」の硬式テニス団体で初優勝。高等部吹奏楽部が全国大会で5年連続金賞を受賞。
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学園あげての総合研究「満州研究」「南洋研究」
1940(昭和15)年4月から8月までの5か月間にわたって「満州研究」、引き続き9月から12月までの間に「南洋研究」というテーマの総合学習として、学園あげての大規模な合同研究が実施された。さらに1950(昭和25)年には小学1年生から大学生に至るまで全学園が約2か月の期間をかけて「デンマーク研究」に取り組んだ。
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1979(昭和54)年の玉川
大学院農学研究科に資源生物学専攻博士課程、大学に芸術専攻科(芸術専攻)を開設。玉川大学教育研究所を玉川学園学術教育研究所と改称し、附置研究施設として全人教育研究所、体育研究所、ミツバチ科学研究所を置く。第1回創立記念日全学教職員の集いを開催。『玉川こども・きょういく百科』全31巻を刊行。
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写真で見る玉川の歴史⑪1976年~1978年
カナダのブリティッシュコロンビア州ナナイモ市に玉川学園校地開設。玉川学園久志農場の開場式を挙行。文学部芸術学科の新校舎・工芸校舎ならびに農学部第2校舎、須雲塾(箱根演習林の宿泊施設)が完成。文学部教育学科体育専攻生を中心とした学生たちが海外体育研修のためデンマークへ。玉川大学舞踊合唱団71名がアメリカ、カナダにて公演。中学部生の労作で相撲場(相撲の土俵)が完成。小原國芳先生、信先生が逝去され玉川学園葬を行う。
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デンマーク研究
1950(昭和25)年に、「ニルス・ブック氏70歳誕生記念祭」を玉川学園で開催。記念祝賀祭、記念芸能発表会、デンマーク研究展、デンマーク文化講演会など、玉川学園挙げての行事が行われた。それに伴って、小学1年生から大学生に至るまで全学園が約2か月の期間をかけてデンマーク研究に取り組んだ。
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聖山
聖山は玉川学園町の丘陵の中でも一番高い丘で、玉川学園開校以前は丹沢の尾根の間から富士山も望めた。開学後から塾舎での教育を発展的に解消するまで、小原國芳の胸像のある聖山には、毎朝塾生たちが集まってきて「聖山礼拝」が行われた。國芳も聖山礼拝に参加し、まるく円をつくった学生たちの輪の中に入って、祈り、讃美歌を歌い、こころを穏やかにして一日を迎えていた。
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玉川大学演劇舞踊団が「ロンドン国際演劇祭」(英国)と「エジンバラ国際フェスティバル」(スコットランド)に参加
1961(昭和36)年のメキシコ訪問以来、5回目をむかえる今回の海外公演は、英国のロンドン国際演劇祭およびエジンバラ国際フェスティバル・フリンジという世界屈指の芸術祭への参加が目的。狂言を現代風にアレンジした「ベッカンコおに」を日本語で公演した。
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玉川学園創立50周年記念「玉川学園美術展」
1980(昭和55)年10月28日に日本武道館において、玉川学園創立50周年記念式典が開催された。その翌年、新宿小田急百貨店のグランドギャラリーにおいて、玉川学園創立50周年記念「玉川学園美術展」が行われた。総合学園の特色を生かした幼稚園児から大学生までの総合美術展で、展示数は約1,000点に及んだ。
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玉川大学舞踊合唱団がアメリカ、カナダで公演
1978(昭和53)年3月15日から4月17日まで、玉川大学舞踊合唱団がアメリカ、カナダにて公演。各地の大学等で16回の公演とワークショップを行う。1961(昭和36)年のメキシコ・アメリカ公演、1968(昭和43)年のヨーロッパ公演、1972(昭和47)年のギリシャ公演に続いて4度目の海外公演となった。