玉川学園の歴史

1929(昭和4)年頃 開校間もない時期に撮影された玉川学園の様子。

夢の学園を目指して始まった玉川の歴史も、85余年という年月を重ねました。
常に、その時代の変化と共に発展し、今では幼稚部から大学院まで約1万人が集う総合学園になりました。

ここでは、1929年の創立当時から現在までの足跡や、キャンパスに残された歴史ある場所・品々にスポットをあて、夢の実現のために込められた想いを振り返っていきます。

  • ●2020.08.07
    写真で見る玉川学園の歴史⑩1971年~1975年
    小原國芳理事長・学園長・学長が健康上の理由から玉川学園の公職を辞し、玉川学園総長に就任。小原哲郎副学長が理事長・学園長・学長に就任。玉川学園創立40周年記念事業として、屋内温水プールが完成。屋内温水プールは日本水泳連盟公認の50mプールで、水中監視窓、水中音波伝達装置、水中照明装置、移動式ブリッジなど最新の装置を備え、学校のプールとしては当時日本一と言われた。玉川学園舞踊団42名がギリシャにて公演。玉川学園教育研究会の席上で、教育功労者に対して「小原賞」を贈呈。

  • ●2020.06.30
    地球はわれらの故郷なり
    12の教育信条の「国際教育」の中にも謳われている「地球はわれらの故郷なり」は、チンメルマン博士が2度目に玉川学園を訪れた時に語られた言葉である。

  • ●2020.06.23
    写真で見る玉川学園の歴史⑨1966年~1970年
    玉川学園の拡充期で、校舎をはじめ次々と新しい建物を建築。玉川学園の住居表示も「町田市本町田4050」から「町田市玉川学園6-1-1」に変更。玉川大学演劇舞踊団ヨーロッパ公演旅行一行28名が、ベルリンにおけるインタードラマに日本代表として出演。ヴァチカン宮殿訪問時には、ローマ教皇が団員の一人ひとりと握手し祝福してくださった。「玉川児童百科大辞典」(全21巻)の刊行開始。大学生の労作によって「松下村塾」と「咸宜園」の模築が完成。

  • ●2020.03.03
    教育立国論
    終戦を迎えた日本国民は敗戦の影響で先の見えない日々を過ごしていたが、小原國芳はいち早く教育立国を唱えて新生日本の進む道を示した。そして、「教育立国」の夢と「全人教育」の理想を語り、全国を教育行脚。1946(昭和21)年、『教育立国論』を出版した。

  • ●2020.01.29
    写真で見る玉川学園の歴史⑧1961年~1965年
    工学部と女子短期大学を開設。箱根実習林を取得。近代オーストリア・スキーの父といわれるオーストリア国立スキー教師養成所のシュテファン・クルッケンハウザー教授を招聘。玉川学園メキシコ親善使節団の公演旅行では公演のほか、野口英世博士像の除幕式での合唱、メキシコ大統領訪問などを行う。

  • ●2019.12.17
    玉川の集い(玉川学園の集い)
    「創立90周年記念式典 玉川の集い」は盛会のうちに終了した。「こんなに感動した式典は初めて」「玉川だからできた素晴らしい式典」と多くの方々から賛辞をいただいたが、これは90年の玉川の歴史の中で培ったものが伝統として受け継がれ、玉川ならではの形で花開いた結果でもある。例えば、その伝統の一つが「玉川の集い」であり、1952(昭和27)年に芸能教育発表会として第1回が開催された。

  • ●2019.12.10
    クリスマスツリー
    「ここに(正門付近)大きなツリーがあったらいいな」という小学部生の声を、当時の学長・学園長であった小原哲郎が聞いたことがきっかけとなって、1983(昭和58)年に玉川池の中にクリスマスツリーが誕生した。

  • ●2019.11.26
    写真で見る玉川学園の歴史⑦1956年~1960年
    手工芸美術展や合唱コンクールなどでの学生や生徒たちの入賞や、玉川教育視察のための海外からの来園者が増加。1959(昭和34)年には玉川学園創立30周年を迎え、記念式典をはじめ数々の記念行事が開催された。

  • ●2019.11.13
    写真で見る玉川学園の歴史⑥ 1951年~1955年
    私立学校法により、財団法人玉川学園から学校法人玉川学園に移行。オール玉川での「音楽祭」や「玉川の集い」、「玉川学園自由研究展」などが開催された。

  • ●2019.09.24
    写真で見る玉川学園の歴史⑤ 1946年~1950年
    小原國芳は「新生日本は教育立国にあり」と全国を教育講演行脚。本学においても、旧制玉川大学、新制玉川大学、玉川学園中学部、玉川学園高等部、玉川学園久志高等学校、玉川大学通信教育部が立て続けに設置された。

  • ●2019.09.10
    玉川ラグビー
    1929(昭和4)年の玉川学園開校と時を同じくして玉川ラグビーが誕生。それから、90年の月日が経過した。玉川学園のラグビーフットボール部は小学部、中学部、高等部、大学のそれぞれに存在。また、毎年、小中高大のラグビー部員、卒業生、保護者が一堂に会し、玉川の丘でラグビー祭を開催している。

  • ●2019.09.03
    写真で見る玉川学園の歴史④ 1941(昭和16)年~1945(昭和20)年
    勤労奉仕や勤労動員、外部団体の学園内疎開、児童・生徒たちの疎開など戦争の影響が教育にも影を落とす。そして終戦。ただちに教育活動を再開。さらに第1回新生日本教育研究会を開催するとともに、小原國芳は日本全国への教育行脚を再開した。

  • ●2019.08.19
    礼拝
    特定の宗教を限定せず、広い意味での宗教心を一人ひとりに持たせ、真の人間を育てたいという玉川における宗教教育の理念は、終始一貫して玉川教育を支えてきた。そして礼拝の時間が幼稚部から大学まで設けられ、学生・生徒・児童ら一人ひとりが自分自身と向き合い、自らを見つめることで、他者を思い、平和を愛する心を育んでいる。

  • ●2019.08.01
    玉川学園造形教育研究会
    1961(昭和36)年から1968(昭和43)年までの8年間、美術教育の研究をさらに深め、今後のあり方を探究することを目的に、小学部、中学部、高等部の美術教育の現場において、造形教育研究会が開催された。

  • ●2019.07.17
    玉川学園教育研究会
    「他がやらぬから、やることに意味がある」と小原國芳は主張し、教育研究会を開催する。そして、新時代の日本の教育は玉川から生れるのだという強い信念を研究会の名称とした。

  • ●2019.07.05
    写真で見る玉川学園の歴史③ 1936(昭和11)年~1940(昭和15)年
    「玉川学園出演」と正式に記録された初の「第九」合唱への参加、全国競演合唱祭での3年連続優勝、東北・関西・九州への音楽・体操公演旅行、『児童百科大辞典』の刊行、玉川塾専門部の設置、新工業教育のスタートなどが、この5年間の主な出来事であった。

  • ●2019.06.18
    玉川のアドベンチャー教育
    世界中で高い評価を受けているアドベンチャー教育。体験に基づく学びを重視する玉川学園は、日本で最初にアドベンチャー教育施設を導入し、先駆的なプログラムを幼稚部から大学までの「K-16」一貫教育の中で導入し実践している。

  • ●2019.06.11
    高等部の明倫塾
    中学部生や大学生との共同塾生活から、高等部生だけの部屋構成で塾生活を営むようになり、さらに1967(昭和42)年には高等部男子塾舎が完成して独立。その男子塾は1972(昭和47)年に明倫塾と命名された。

  • ●2019.06.06
    写真で見る玉川学園の歴史② 1930(昭和5)年~1935(昭和10)年
    1930(昭和5)年9月に礼拝堂が完成し、翌月に献堂式を行う。また、同年及び翌年に玉川学園に大きな影響を与えた人物3名が来園。世界のスキー普及に偉大な足跡を残したハンネス・シュナイダー氏、デンマーク体操の父といわれたニルス・ブック氏、玉川学園を「第二の故郷」と慕う教育家ヴェルナー・チンメルマン博士である。

  • ●2019.05.23
    SGH(スーパーグローバルハイスクール)
    玉川学園は、2014(平成26)年4月、国際的に活躍できるグローバル・リーダーの育成を目的とした文部科学省のプログラムである「SGH(スーパーグローバルハイスクール)」の第1期の指定校に選ばれた。