玉川学園の歴史

1929(昭和4)年頃 開校間もない時期に撮影された玉川学園の様子。

夢の学園を目指して始まった玉川の歴史も、85余年という年月を重ねました。
常に、その時代の変化と共に発展し、今では幼稚部から大学院まで約1万人が集う総合学園になりました。

ここでは、1929年の創立当時から現在までの足跡や、キャンパスに残された歴史ある場所・品々にスポットをあて、夢の実現のために込められた想いを振り返っていきます。

  • ●2019.09.10
    玉川ラグビー
    1929(昭和4)年の玉川学園開校と時を同じくして玉川ラグビーが誕生。それから、90年の月日が経過した。玉川学園のラグビーフットボール部は小学部、中学部、高等部、大学のそれぞれに存在。また、毎年、小中高大のラグビー部員、卒業生、保護者が一堂に会し、玉川の丘でラグビー祭を開催している。

  • ●2019.09.03
    写真で見る玉川学園の歴史④ 1941(昭和16)年~1945(昭和20)年
    勤労奉仕や勤労動員、外部団体の学園内疎開、児童・生徒たちの疎開など戦争の影響が教育にも影を落とす。そして終戦。ただちに教育活動を再開。さらに第1回新生日本教育研究会を開催するとともに、小原國芳は日本全国への教育行脚を再開した。

  • ●2019.08.19
    礼拝
    特定の宗教を限定せず、広い意味での宗教心を一人ひとりに持たせ、真の人間を育てたいという玉川における宗教教育の理念は、終始一貫して玉川教育を支えてきた。そして礼拝の時間が幼稚部から大学まで設けられ、学生・生徒・児童ら一人ひとりが自分自身と向き合い、自らを見つめることで、他者を思い、平和を愛する心を育んでいる。

  • ●2019.08.01
    玉川学園造形教育研究会
    1961(昭和36)年から1968(昭和43)年までの8年間、美術教育の研究をさらに深め、今後のあり方を探究することを目的に、小学部、中学部、高等部の美術教育の現場において、造形教育研究会が開催された。

  • ●2019.07.17
    玉川学園教育研究会
    「他がやらぬから、やることに意味がある」と小原國芳は主張し、教育研究会を開催する。そして、新時代の日本の教育は玉川から生れるのだという強い信念を研究会の名称とした。

  • ●2019.07.05
    写真で見る玉川学園の歴史③ 1936(昭和11)年~1940(昭和15)年
    「玉川学園出演」と正式に記録された初の「第九」合唱への参加、全国競演合唱祭での3年連続優勝、東北・関西・九州への音楽・体操公演旅行、『児童百科大辞典』の刊行、玉川塾専門部の設置、新工業教育のスタートなどが、この5年間の主な出来事であった。

  • ●2019.06.18
    玉川のアドベンチャー教育
    世界中で高い評価を受けているアドベンチャー教育。体験に基づく学びを重視する玉川学園は、日本で最初にアドベンチャー教育施設を導入し、先駆的なプログラムを幼稚部から大学までの「K-16」一貫教育の中で導入し実践している。

  • ●2019.06.11
    高等部の明倫塾
    中学部生や大学生との共同塾生活から、高等部生だけの部屋構成で塾生活を営むようになり、さらに1967(昭和42)年には高等部男子塾舎が完成して独立。その男子塾は1972(昭和47)年に明倫塾と命名された。

  • ●2019.06.06
    写真で見る玉川学園の歴史② 1930(昭和5)年~1935(昭和10)年
    1930(昭和5)年9月に礼拝堂が完成し、翌月に献堂式を行う。また、同年及び翌年に玉川学園に大きな影響を与えた人物3名が来園。世界のスキー普及に偉大な足跡を残したハンネス・シュナイダー氏、デンマーク体操の父といわれたニルス・ブック氏、玉川学園を「第二の故郷」と慕う教育家ヴェルナー・チンメルマン博士である。

  • ●2019.05.23
    SGH(スーパーグローバルハイスクール)
    玉川学園は、2014(平成26)年4月、国際的に活躍できるグローバル・リーダーの育成を目的とした文部科学省のプログラムである「SGH(スーパーグローバルハイスクール)」の第1期の指定校に選ばれた。

  • ●2019.05.14
    中学部の青雲塾
    1965(昭和41)年1月30日、男子中学部生のための塾舎として「青雲塾」が完成した。1979(昭和54)年には短期塾教育がスタートし、すべての男子中学部生が3週間、青雲塾での集団生活を体験するようになった。

  • ●2019.05.08
    玉川の演劇教育の始まり
    演劇は人間の生き方に最も深くふれる芸術であり、それが教育の中に正しく生かされた場合には、人間陶冶の優れた方法となる。演劇創造による教育は、玉川では全人教育の一環として、早くからその実践と理論的探求がなされ、大きな足跡を残してきた。(『全人』第288号(昭和48年8月発行)より)

  • ●2019.04.22
    写真で見る玉川学園の歴史①1929(昭和4)年
    1929(昭和4)年4月、小原國芳が思い描いていた「夢の学校」が玉川学園として誕生。ここに全人教育を教育理念に据えた真(マコト)の教育がスタートした。

  • ●2019.04.08
    産学協同による新工業教育
    1939(昭和14)年、川崎にある日本火工株式会社と提携し、学校での教育と工場での実習を数か月ごとに交代で行う、「学」と「術」の両立を図る新工業教育が玉川の丘で実施された。

  • ●2019.02.25
    玉川学園前駅
    玉川学園が、駅敷地及び駅舎を小田急電鉄に提供することなどにより、1929(昭和4)年に玉川学園前駅が誕生。駅ができたことで住民が急増し、町が形成されていった。1967(昭和42)年には、表示改正により住所も「町田市玉川学園」となり、学校名と地名、駅名が同じとなった。

  • ●2019.02.12
    玉川の生活音楽
    歌に始まり歌に終わる一日。校舎から聞こえてくる歌声。児童、生徒、学生たちが愛用している『愛吟集』が歌声の輪を拡げていく。玉川の丘では、教育はもちろん、日々の生活の中に豊かな音楽が息づいている。

  • ●2019.01.28
    玉川の舞踊教育
    玉川の舞踊教育はリトミックをベースとして、小学部の舞踊の時間から始まり、同じく表現教育としての演劇教育と深く連携しながら、しだいに充実の度を加えて、全学園的規模のものへと発展していった。

  • ●2019.01.07
    労作教育研究会
    玉川学園創立の4か月後の1929(昭和4)年8月15日、7日間の日程で第1回労作教育修養会が開催された。さらに1931(昭和6)年の第3回開催から労作教育研究会と名称を変更し、1940(昭和15)年には国民学校研究会という名称で実施された。以後、交通統制により中止となったが、戦後に玉川で開催された教育研究会につながるものといえる。

  • ●2018.12.17
    クリスマスキャロルと大焚火
    玉川学園創立の年1929(昭和4)年の12月24日深夜にクリスマスキャロル隊を編成し、学園内および学園村の家々を巡った。一週間後の12月31日の午後11時から大焚火、12時から除夜の太鼓、そして祈り。その後、クリスマスキャロルと大焚火は、恒例の行事として代々塾生に受け継がれ、継続して行われた。

  • ●2018.11.20
    太鼓櫓
    1970(昭和45)年7月に新太鼓櫓が完成。この太鼓櫓は、玉川学園創立40周年を記念して、当時の塾生たちが職人の方々と共に一から造りあげたもの。櫓の3階に設置された太鼓は、当時のくりぬき太鼓としては日本最大のものであった。